蛭川研究室 断片的覚書

私的なメモです。学術的なコンテンツは資料集に移動させます。

蘭学と舎密学

舎密手前

西暦2004年3月6日、土曜日に行われた「華和茶会舎密手前」の記録を発見。


明治大学駿河台校舎で行われた華和茶会

www.isc.meiji.ac.jp

舎密という江戸期のオランダ語を使おうと思ったのは、1997年、アムステルダムとライデンを訪問したときに、19世紀におけるインドネシアの文化と日本の文化が、いずれも旧植民地の文化として並列して研究されていることに関心を持ったという、そんなきっかけもあった。


ライデン大学の近くで見つけた芭蕉の句

茶道を学んでいた黒川先生は「舎密」の「密」という言葉が、天台宗台密真言宗東密のような、秘教的な実践のニュアンスがあると面白がってくださった。

カヴァラクトンは、天然のカンナビノイド受容体作動薬である。カンナビノイド受容体作動薬は、誤って使えば毒になる。毒を薬として扱うのには、秘教的な知識として伝法される必要があるというわけだ。

デカルト松果体で精神と物質が相互作用していると考えたそうだが、化学とは、物質によって精神を制御しようという先鋭的な思想の基礎づけともなっている。

https://ontheworldmap.com/netherlands/map-of-netherlands-and-belgium-benelux.jpg Map of Netherlands, Belgium and Luxembourg (Benelux)

イボガを取り扱っているIboga Worldは、オランダのアイントホーヘンに拠点を持っているが、発送は南アフリカからである。Chemical Collectiveはユトレヒトに拠点があるが、製造工場はLizardLabsである。この工場はアメリカに違法なオピオイドを輸出しようとして摘発された。その後「.nl」のアカウントで再開した。やはり拠点はオランダらしい。

サイケデリックルネサンスは欧米の流行でもあるが、オランダではマーストリヒト大学でも研究が進んでいるという。

ホモ・ルーデンス

ライデン大学で研究を続けたホイジンガは、もともとサンスクリット語を学んだ碩学だったが、インドネシアと日本の文化にもまた明るい人であったという。

ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』には「遊びと裁判」という章があり、「競技としての訴訟」という節がある。

法や条例は抽象的なルールだが、法廷という「聖域」で行われる裁判は、いっしゅのスポーツであり、本質的には遊びだというのである。

昔、裁判官だった男が私にこう書き送ってきた。 『我々の訴訟記録の様式と内容をみれ ば、弁護士諸君がどれほどスポーツ的楽しみにひたりつつ、弁論や反論をもって しかも、まことに多くの詭弁をあやつりながら攻撃し合っているかがよくわかります。 彼らの精神状態をみるとしばしば、ジャワの〈慣習法(アダト)〉裁判における代弁人を思い出しますね。 この人物は一つの議論をぶつたびに地面に小さな棒を立て、最も多く棒を立てたものに裁判 競争の勝ちを収めさせようとねらうのです』。

ホイジンガホモ・ルーデンス[*1]143.

このオランダ人の裁判官は、ジャワ島の統治についても通じていたようだ。ジャワ島では土着の慣習である「adat」と、イスラーム法との解釈の違いが問題になっていたからである。オランダの統治のシステムが、ジャワ=バリ人の劇場国家に対して適用できなかったことは『バリ島物語』[*2](Baum (1937).Lieben und Tod auf Bali)にも描写されている。

バタイユホイジンガのこの概念を引き継いで「ホモ・ルーデンス」とは「遊ぶ人、特に、驚異に満ちた芸術の遊びを遊ぶ人間」と再定義している[*3]

ここでいう「遊び」は、たんに「労働」をしないこと、あるいは、無駄なこと、無意味なことをするという意味ではない。生物学的な生存とそのための労働の世界を超えた、より驚異的な意味の世界に自らを投入するのが「遊び」なのである[*4]。あるいは、カイヨワが『遊びと人間』[*5]で提示した遊びの類型の中でも「目眩」に対応しているともいえる。

ギアーツの「深い遊び(dep play)」という概念はバリ島における闘鶏から着想を得ている。

このことは、「化石人類の物質文化と精神文化」で論じたのだが、これもまた整理したい。

hirukawa-archive.hatenablog.jp


*1:ホイジンガ, J. 高橋英夫(訳)(1973).『ホモ・ルーデンス中央公論新社. (Huizinga, J. (1938). Homo Ludens: Proeve eener bepaling van het spel-element der cultuur. Wolters-Noordhoff cop.)

*2:

*3:「いずれにしても人類学者たちのいうホモ・ファーベル(労働の人間)は、遊びが誘(いざな)っていったかもしれぬ道の方には踏みこまなかった。あとから来たホモ・サピエンス(知識の人間)だけがその道に踏みこんだ。その踏みこみかたは断乎としており、手練に輝き天分に充ちた一個の芸術が、おそらく最初の粗描からしてただちに生れ出たのである。こうした形でホモ・ファーベルの狭苦しい世界を開放した者に、私たちはホモ·サピエンスの名を与える。だがこの名称はあまり的を射たものとはいえない。原初期に形成された少量の知識はホモ·ファーベルの労働に結びついている。ホモ·サピエンスの寄与はまことに逆説的なものだ。つまりそれは芸術であって知識ではないのである。ホモ·サピエンスという名称は、知識こそが人間を動物から隔てるものだと、人びとが今日よりももっと一途に思いこんでいた時代の証言となるものである。馴鹿時代の人間を、特にラスコー人を問題とするのならば、私たちは知識ではなく、本質的に遊びの一形態たる美的活動を力説した方が、先行する時代の人間から彼らをより正確に分つことになるのではなかろうか。ホイジンガホモ・ルーデンス(遊ぶ人間、特に、驚異に充ちた芸術の遊びを遊ぶ人間)という美しい表現の方が、ラスコー人にはふさわしいし、唯一の適切な表現でさえあるだろう。この表現だけが、ネアンデルタール人というホモ·ファーベルに対応する像を、この上なく正確に刻むことができる。ホモ·ファーベルは発育不良症であった。どんなに軽やかに飛躍しようとしても、四足獣めいた体形の鈍重さを克服することができなかった。鈍重さという点で彼は類人猿の件間だったのだ。よく笑う、誘惑好きな遊び=の=人の、出来のいい様子(人間にはしばしば出来損いの醜怪な実例があり、それが対照的にきわだたせるわけだが)、決然とした至高者的な物腰は、人類学がついに適切な命名を見出せぬまま、ようやくホイジンガに至って満足すべき名を与えられた、ホモ ルーデンスに始まるのである。ホイジンガが指摘したとおり、ホモ·ルーデンスという名称こそ、作品によって人間世界に芸術の功徳と光輝をもたらす者にふさわしい呼び名であり、さらにいえば、人類全体がこの名称で確実に命名されたと見るべきなのだ。従属的活動性を示すファーベルと対立するもの、自己目的にしか意味の拠りどころを持たぬもの、つまり「遊び」を指示するための、これは唯一の名称ではないであろうか。今日なお人間が自尊心の根拠としている肉体的外貌を持つに至ったのは、いずれにしても人間が遊びを実行し、実行しつつその遊びというものに芸術作品の恒久性と驚異の相とを賦与しえたときのことであった。もちろん遊びは進化の原因とはならない。しかし、鈍重なネアンデルタール人が労働と一致し、繊細な人間が芸術の開花と一致することは疑いを容れないのだ。たしかに遊びが、すでにある程度幼虫状態の人類の鈍重さを減らしていなかったという証拠はない。しかし幼虫期の人類には、人間の意味を芸術の意味に結びつけ、その場かぎりのことにせよみじめな必要性から人間を解き放ち、人それぞれが生甲斐とする「豊饒」の奇蹟的な光にともかくも私たちを到達させてくれた、あの遊びという人間的世界を創出する力は持たなかったのである。」バタイユ, G. 前掲書, 85-87.

*4:ギアーツは、バリ島民の闘鶏について「ディーププレイ(深い遊び)」という論考を記している。
ギアーツ, C. 吉田禎吾・中牧弘允・柳川啓一・板橋 作美(訳)(1987).『文化の解釈学Ⅱ』岩波書店, 389-461. (Geertz, C. (1973). The Interpretation of Cultures: Selected Essays. Basic Books.)

*5: