昨今、電車に乗っていると、誰それがコロナに感染したとか、いちいち顔写真入りで報道されているのを目にするようになった。
そんな映像をつくって報道している人たちの、歪んだ不安の投影である。
その背後で、人身事故の影響により十分ほど遅れが出ています云々というアナウンスが流れる。それがあまりに日常的なことなので、それがどういう事故だったのかと、具体的に考えることもなく、聞き流してしまう。
* * * *
研究室の書籍を整理していたところ、かつて同僚・上司であった友野典男先生の『行動経済学』を発見。
アメリカ合衆国における1年あたりの死因別死亡件数と、主観的見積もり[*1](和訳は友野典男)
原書の図表。曲線が人間の主観的見積もり(認知バイアス)
現代文明社会において、ガンや心臓病はもっとも致命的な病気であるのにもかかわらず、それゆえ逆に、ありふれたこととして考えられてしまいがちである。
アメリカでは生卵を食べる習慣は一般的ではないのだが、だから、たまたま生卵を食べてボツリヌス菌に感染すると、大きな事件として報じられる。
著名人が新型コロナウイルス感染症に罹患すると、それだけでニュースになり、実名入りで報道される。死亡でもしようものなら、大事件として報道される。
もし本人が望んでいないことなら、当事者にとっては人権侵害だし、社会に対しては、無用な不安を煽ることになる。
感染症に対する注意を喚起することには意味があるが、個人名を出して報道するのは、悪趣味である。
著名人が心臓病で亡くなれば、お悔やみとして報道されるかもしれないが、心臓病に罹患しただけで報道されたりはしない。
日米には文化差もある。
アメリカでは年間二万人が殺人事件の犠牲になっている。だから、残念なことに、殺人はありふれたことだと考えられがちである。二万人というのは、日本における年間の自殺者数とほぼ等しい。残念なことに、日本では自殺がありふれたことだと考えられてしまいがちで、その深刻さが広く議論されることは少ない。
日本における自殺者数は、年々減り続け、2019年にはやっと二万人を割り込んだ。しかし、社会情勢の悪化にともない、2020年度には三千人ほど増加し、二万三千人程度になると予想されている。ただし、これはなにも対策を講じなかった場合であり、うつ病のような疾患が介在している場合、予防と早期発見が奏効するだろう。
低い確率の過大評価と高い確率の過小評価は、どうやら人間の確率判断につきまとう普遍的な性質らしい。
友野典男『行動経済学』(132)
どうやら人間の馬鹿さ加減は、普遍的な性質らしいーー友野先生は、そんなふうに、人の世を正確に斜め上から見下ろす、強靭な理性を持つ、愛すべき「ちょいワルおやじ」であった。そして、ヘビースモーカーだった。
「タバコが体に悪いっちゅうけどさ、当たり前だろ?いまさらなに騒いでんだよ[*2]。他にも体に悪いことはたくさんあるんだよ。どうせオレ早死にするし」と、いつもそんなふうに威勢が良く、見るからに健康そうで、そして、颯爽と早期退職された[*3]。
早期退職後はどうされるのですか、やはり今までの研究の集大成ですか、期待しています、とお話をすると、意外なことに、老後は農業を愉しむのだ、と仰っていた。
今はどうされているのやら。
CE2020/05/02 JST 作成
CE2020/05/14 JST 最終更新
蛭川立
*1:友野典男 (2006).『行動経済学―経済は「感情」で動いている―』光文社より引用。
Baron, J. (2007). Thinking and Deciding 4th edition. Cambridge University Press, 138.
*2:タバコの害についての言説は、近年誇張される傾向にある。たとえば「コロナ重症化の要因は「喫煙」…国内の新型コロナ死者、菅長官「7割強は男性」(読売新聞)という記事を読むと、日の丸を背にした官房長官が政府の公式発表としてタバコを吸うと新型コロナウイルス感染症が重症化すると述べているように読めてしまうが、じっさいには「重症化する要因は基礎疾患の有無や年齢など様々な要素が絡むとされ、単純に性別が影響しているかどうかわからない」と慎重な見解を述べているにすぎない。
*3:明治大学情報コミュニケーション学部で友野先生が担当されていた「不確実性下の人間行動」は、現在は後藤先生に引き継がれている。