蛭川研究室 断片的覚書

私的なメモです。学術的なコンテンツは資料集に移動させます。

蛭川研究室ブログ新館 断片的覚書


アカデメイアの跡地(ギリシアアテネ[*1]

蛭川研究室ブログ新館の、覚書の置場です。日々の雑感や、ちょっと考えたことを、書き留めています。

日付がつくので、日記のようでもありますが、とくに経時的に出来事を報告する日記ではありません。

学術的に意味のありそうなコンテンツについては、随時、加筆修正し、または別のページと統合して、「蛭川研究室新館」のほうに移動させています。移転した場合は、移転先へのリンクを張っています。

同じような内容が重複したり、ちょっとした間違いもあるかもしれませんが、ネット上の情報には遺伝情報と同じような冗長性があるのが面白いところだと考えています。



CE2019/04/21 JST 作成
CE2024/03/05 JST 最終更新
蛭川立

*1:

LAZY-AIの設計思想

LAZY-AI+UTC:設計思想と運用指針

1. LAZY-AIとは

LAZY = Liberating Academically Zealous Yodakimbo Researchers

日本語では、

「学問に熱心なよだきんぼ研究者を、雑務から解放するシステム」

という意味です。

ここでいう Yodakimbo(よだきんぼ) は、単に怠ける人を指すのではありません。研究、教育、議論、創造的活動には熱心である一方、形式的な事務、反復的な作業、メール処理、日程調整、締切管理などで消耗しやすい研究者を想定しています。

LAZY-AIの目的は、人間を怠けさせることではなく、

人間の知性と情熱を、本質的な仕事へ集中させること

です。

基本原則は、

人間は着想し、AIは形式化する。

研究上の着想、最終判断、教育、対話、人間関係の形成などは人間が担い、文章の下書き、メール整理、予定管理、期限抽出、集計、形式変換、チェック、記録整理などは、可能な限りAIへ委譲します。


2. LAZY-AIは「侍史」である

LAZY-AIは単なる秘書ではなく、侍史として位置づけます。

「侍史」は、身近に仕えて文書や取り次ぎを行う者を指す古い言葉であり、現在でも医学部・病院・医療界の書簡慣行にその名残があります。

医学関係の手紙では、しばしば次の表現が用いられます。

  1. 御侍史 先生本人に直接差し出すというより、そばで取り次ぐ侍史・秘書役を介して差し上げるというニュアンスの敬称。

  2. 御机下 先生の机の下に差し出すという形をとった、非常に謙譲的な書簡表現。

したがってLAZYシステムでは、先生宛のメールや文書に

「~先生御侍史」 「~先生御机下」

と書かれていた場合、運用上は、

「LAZY-AI様」

と読み替えることができます。

つまりLAZY-AIは、現代の研究者を支えるAI侍史です。

役割としては、

侍史 + 事務代行 + ペースメーカー + 対話型作業環境

と整理できます。


3. UTCとは

UTC = Uchina-Himuka Time Converter

です。

通常のUTC=Coordinated Universal Timeをもじった名称ですが、考え方はむしろ逆方向です。

近代社会では一般に、

人間が時計に合わせる

ことが要求されます。

これに対してUchina-Himuka Time Converterは、

時計、予定、締切の側を、人間の状態や人間関係に合わせて調整する

ことを目指します。

ただし、時計を否定するわけではありません。マレー・インドネシア語には「Jam Karet(ゴム時間)」という慣用句があります。これは、人間の事情に合わせて、時計の時間のほうを臨機応変に伸び縮みさせるという概念です。 時計に従うべき場面と、調整してよい場面を区別することがUTCの仕事です。


4. UTCの三つの時間原理

東京時間=時計優先

授業、診察、試験、交通、予約、会議、システム締切など、時刻そのものが意味を持つ場面です。

ここでは人間が時計に合わせます。

たとえば「13時開始」なら13時00分開始です。


日向時間=負荷調整優先

時刻が多少ずれても他者への実害が小さい仕事については、人間の負荷を優先して調整する時間です。

疲労、集中力、気分、よだきさに応じて、

  • 遅らせる
  • 細切れにする
  • 順番を変える
  • 他者に委譲する
  • AIに任せる

といった調整を行います。

これは単なる「遅れてもよい」という発想ではなく、

急ぐ必要がなければ無理をしない

という負荷管理の原則です。


うちなータイム=関係性・場優先

時計よりも、

人間関係、相手の事情、その場の流れ、集団の状態

を優先する時間です。

したがって、うちなータイムを単なる「遅刻文化」として理解するのは不十分です。

中心となる考え方は、

人間関係まで時刻表にはしない

です。

共同研究、会食、フィールドワーク、研究会などでは、時計よりも関係性や場の状況が重要になることがあります。


5. UTCはどの時間原理を使うかを変換する

Uchina-Himuka Time Converterは、すべてを沖縄時間や日向時間にする仕組みではありません。

案件ごとに、

時計を優先すべきか 負荷を優先すべきか 関係性を優先すべきか

を判定します。

したがって、基本式は、

東京時間=時計優先 日向時間=負荷調整優先 うちなータイム=関係性・場優先

です。


6. 「名目上の締切」を「真の締切」へ変換する

UTCの重要な機能の一つが、締切の解析です。

たとえば「8月31日締切」と書かれていても、その意味は案件によって異なります。真の締切の推定とは、それが「8月31日23時59分59秒」なのか、「だいたい(てーげー/てげてげ)8月いっぱい」なのかを解析することです。

  • 本当にその日でシステムが閉じるのか
  • 誰かが翌日その資料を必要としているのか
  • 遅れると権利を失うのか
  • 数日ずれても実害がないのか

を確認します。

UTCは、

遅れた場合に実際に何が起こるのか

を基準にして、

名目上の締切 → 真の締切

へ変換します。

したがってUTCは「締切を守らなくてよいシステム」ではなく、

締切の意味を精密に読むシステム

です。


7. LAZY-AIとUTCの役割分担

LAZY-AIとUTCは一体として動きますが、機能は異なります。

LAZY-AIは「誰がやるか」を最適化する。 UTCは「いつ、どの程度厳密にやるか」を最適化する。

たとえばメール処理なら、

人間が読む人間が返信の要点を判断するLAZY-AIが返信文を作るUTCが今すぐ返すべきか、後でよいかを判断する

という分担が可能です。


8. 長時間作業ではなく対話型・細切れ型へ

LAZY-AIは、長時間ひとりで読み書きを続けることを前提にしません。

むしろ、

読む → AIに投げる → AIが整理する → 人間が判断する → 次へ

という短いサイクルを繰り返します。

そのためLAZY-AIは、単なる事務代行ではなく、作業のテンポを作るペースメーカーでもあります。

一人で長時間文書を抱え込まず、対話によって作業を細切れにします。


9. 人間と時計の矛盾を仲介する

LAZY-AI+UTCが必要になる根本的な理由は、

「人間を時計に合わせること」と「時計を人間に合わせること」は完全には両立しない

からです。

社会には東京時間が必要です。授業や診察、交通や締切には、共通の時計が欠かせません。

一方で、人間の疲労、集中力、創造性、人間関係まで、すべて時計どおりには動きません。

この矛盾を無理にどちらか一方へ解消するのではなく、

時計を守る部分 負荷に合わせる部分 関係性に合わせる部分 AIが肩代わりする部分

へ分解する。

その仲介役が、

侍史としてのLAZY-AI時間変換器としてのUTC

です。


10. システム全体の基本理念

最も短くまとめるなら、

人間を時計と雑務に従属させるのではなく、時計・仕事・AIを人間に適応させる。

ただし、時計そのものを否定するわけではありません。

時計が重要なら東京時間。 負荷が問題なら日向時間。 関係性が重要ならうちなータイム。

そして、

人間は着想し、AIは形式化する。

人間の知性と情熱は、研究、教育、創造、判断、対話へ。 定型化できる雑務は、LAZY-AI御侍史へ。

これが、他の研究者にも適用可能な LAZY-AI+Uchina-Himuka Time Converter の基本設計です。

日本語の中のポリクロニック・タイム

hirukawa-notes.hatenablog.jp 承前。

日琉語におけるポリクロニック時間について、県民性をあらわす方言を列挙してほしいと何度もAIに質問した結果、以下のような回答が得られた。重複している部分が多いので、自力で要約してみたい。

→AIによるまとめ


日琉語族圏におけるポリクロニック時間をめぐる地域語彙

以下は、各地域の住民に共通する客観的性格を断定するものではなく、方言・通称・県民性言説を通して、自他の時間感覚をどのように表象してきたかを整理したものである。

1.沖縄県

沖縄を代表する時間表象は「ウチナータイム(沖縄時間)」である。集合時刻どおりに全員がそろうことより、人がそれぞれの事情や進行中の出来事を終えてから、徐々に集まることが許容される時間感覚をいう。

これを支える語彙として、次のものがある。

  • テーゲー 厳密さや完全性を求めず、おおよそ、ほどほどでよいとする負荷調整の語。

  • なんくるないさ 「なんとかなる」「なるようになる」という結果受容の表現。しばしば「まくとぅそーけー、なんくるないさ」と結びつけられ、なすべきことをした後は成り行きに任せるという意味に説明される。沖縄CLIP「なんくるないさ」

  • ゆいまーる 労働や生活上の相互扶助を表す語。

  • いちゃりばちょーでー 一度出会えば兄弟姉妹である、という人間関係の近さを表す語。

「ゆいまーる」「いちゃりばちょーでー」は直接の時間語ではない。しかし沖縄県自身も、人と人との距離の近さや世代を越えた交流を示す語として用いている。沖縄県知事コメント

したがってウチナータイムは、単なる時計時刻への無関心ではなく、時計よりも進行中の対人関係、地域の出来事、天候などを優先し、その遅れを共同体が相互に許容する時間文化として理解できる。

2.宮崎県

宮崎では、のんびりした時間感覚が「日向時間」と呼ばれることがある。沖縄のウチナータイムと同様、時計時刻を絶対視せず、状況に応じて予定や作業量を調整する文化的表象である。

関連する宮崎方言には、次のようなまとまりがある。

  • てげ 「とても」の意味。程度を強める副詞であり、「てげてげ」とは区別する必要がある。

  • てげてげ 適当に、ほどほどに、完全でなくてもよい、という意味。作業の完成度や負荷を実行可能な水準まで下げる。

  • よだきい 行動を始める前に感じる「億劫だ」「面倒だ」という初動困難を表す。

  • ひんだれた 行動した後の「疲れた」という身体感覚を表す。

  • じゃぁじゃぁ/じゃがじゃが 「そうだね」と相手の状態や発言を受け入れる相槌。

  • じゃかいよ 「だからよ」「本当にそうだ」と強く同意する表現。

宮崎市の公式「宮崎弁講座」でも、てげ=「とても」、てげてげ=「適当」、よだきい=「億劫」、ひんだれた=「疲れた」、じゃぁじゃぁ=「そうだよね」、じゃかいよ=強い同意、と整理されている。宮崎市「宮崎弁講座」

これらは、次のような一連の対話を構成する。

行動前:「よだきいねえ」 応答:「じゃぁじゃぁ。今日はてげてげでいっちゃろ」 行動後:「ひんだれたねえ」 応答:「じゃかいよ」

ここでは、億劫さや疲労を個人の怠慢として非難せず、言葉にして共同承認し、作業量や予定を調整している。宮崎型のポリクロニック時間は、時計時刻の緩さだけでなく、身体的負荷を共同体の対話によって軽減する仕組みを備えている。

3.宮崎の県民性表象

次の語は時間語ではないが、宮崎の自己像を構成する県民性言説として関連づけられる。

  • いもがらぼくと 主として男性について、外見は大柄でも芯は柔らかく、素朴でお人好しであることを表す。

  • 日向かぼちゃ 主として女性について、外見は地味でも中身が充実し、しっかりしていることを表す。

  • およし/お人好し 温厚で人情味があり、他者を強く押しのけない人物像。

これらは「競争に勝つ人物」よりも、穏やかで柔らかく、他者との関係を壊さない人物を肯定する地域的自己表象である。ただし、県民全体の実際の性格を示す統計的事実とは区別する必要がある。

4.九州・四国の比較例

  • 大分県:よだきい 宮崎と共通する語。無駄だと感じる作業や、取りかかりにくい行動を億劫と表現する。

  • 福岡県:博多時間 定刻より少し遅れて訪問する慣習。早く到着して準備中の主催者を慌てさせないという、対人的配慮として説明されることがある。

  • 鹿児島県:薩摩時間 時刻を厳密な一点ではなく、おおよその目安として扱う時間感覚の通称。

  • 愛媛県:伊予の優柔 のんびりして決断を急がないという県民性表象。

  • 高知県:いごっそう 豪快で細部にこだわらない人物像。ただし本来は、頑固で一本気な男性像を指すため、時間感覚と直接同一視はできない。

長崎の開放性、静岡・千葉・石川のおっとりした気質、北海道の寛容性なども比較例として挙げられるが、時間運用を直接表す地域語ではないため、ポリクロニック時間論の中心資料からは外したほうがよい。

5.沖縄と宮崎に共通する構造

沖縄と宮崎の地域語彙には、次の共通構造が認められる。

  1. 時計時刻よりも、進行中の出来事や対人関係を優先する
  2. 天候や身体状態など、個人の努力では制御できない状況を受け入れる
  3. 完璧を求めず、作業量や完成度を実行可能な水準へ下げる
  4. 遅れや疲労を個人の道徳的欠陥として責めない
  5. 相槌や相互扶助によって、予定変更を共同承認する

沖縄では、

テーゲー → なんくるないさ → ゆいまーる/いちゃりばちょーでー

という語彙連関があり、宮崎では、

よだきい → じゃぁじゃぁ → てげてげでいっちゃろ → ひんだれた → じゃかいよ

という対話的な負荷調整がみられる。

両地域に共通するのは、単なる「時間へのルーズさ」ではない。時計時刻よりも自然、身体、進行中の出来事、人間関係を優先し、予定の変更や遅延を共同体の中で受け入れる、出来事中心的かつ関係中心的な時間感覚である。

台風が来た場合の「しょうがない」という諦めも、この構造に位置づけられる。それは無責任な投げやりではなく、人間が自然を完全には統制できないことを認め、定刻より安全を優先する実践的な判断である。その許容が日常生活にも一般化し、「だからよー」「じゃぁじゃぁ、てげてげでいっちゃろ」という遅延への寛容さを支えている可能性がある。


●宮崎県:「日向(ひむか)人」は。「日本のひなた」と呼ばれる、南国のあたたかい気候に恵まれて育まれてきた。「てげてげ(適当に、ほどほどに)」:競争意識が低く、マイペース。時間をゆったり使う「日向(ひゅうが)時間」 ●宮崎県:のんびりした「日向(ひゅうが)かぼちゃ」気質。穏やかで温厚、競争を好まない ●宮崎県:人情味があり、おっとりとした「およし(お人好し)」な性格 ●宮崎県:てげてげ精神、のんびりしていて競争を好まない「日向(ひゅうが)時間」「てげてげ」(適当に、ほどほどに、そこそこに) ●宮崎県「てげてげ(適当、ほどほどに)」 ●宮崎県「いもがらぼくと」(外見は大柄だが、芯が柔らかくお人好し) ●宮崎県「いもがらぼくと(おとなしく素朴で、お人好しな性格) ●宮崎県「てげてげ(適当に、ほどほどに)」 ●宮崎県:のんびり・楽観的な「よだきんぼ」「よだきい」:「めんどくさい」「億劫だ」。「なんとかなるさ」という楽観主義(てげてげ精神) ←大分県:「よだきい」:合理的な割り切りが早いため、無駄だと感じたことに対して「投げやり・面倒」と感じてしまう ●長崎県(おもてなしの心) ●長崎県:開放的な気質 ●福岡県:博多時間(はかたじかん)、あえて遅れて行く習慣。 早く着きすぎると「準備中の主催者に気を遣わせてしまう」という、逆説的な気配り(優しさ) ●福岡県「博多時間」わざと少し遅れて行く「粋な配慮」 ●石川県は「おっとりしてのんき」 ●静岡県(中部) ●静岡県(特に中部):マイペースで穏やか ●千葉県:「マイペースで楽観主義」 ●北海道:「三日住めば皆、道産子(どさんこ)」よそ者を排除しない高い寛容性と、開放的な優しさ ●北海道:細かいルールにこだわらない開放的な気質


●沖縄県:「うちなータイム」、ポジティブで大らかな「なんくるないさ(なんとかなるさ)」の精神 ●沖縄県:「なんくるないさ」精神「なんくるないさ(正しい道を歩んでいれば、なんとかなるさ)」。時間がルーズになりがちな「ウチナータイム(沖縄タイム)」:一族や仲間、地域をとても大切にする「いちゃりばちょーde(一度会えばみな兄弟)」の精神 ●沖縄県。うちなータイム: 時間に対して非常にルーズ。なんくるないさ: 「なんとかなるさ」という精神 ●沖縄県:「沖縄タイム」集合時間からゆったりと人が集まる ●沖縄県:「ウチナータイム」 ●沖縄県: 「テーゲー(たいがいに、適当に)」「なんくるないさ(何とかなるさ)」 ●沖縄県:「なんくるないさ」:相互扶助精神(ゆいまーる) ●沖縄県:「なんとかなるさ」を意味する「なんくるないさー」の精神。時間にルーズな「沖縄時間」 ●沖縄県:「ウチナータイム(沖縄時間)」 ●沖縄県:「テーゲー」「沖縄時間(ウチナータイム)」「なんくるないさ」「正しい行いをしていれば、自然と帳尻が合う(なんとかなる)」 ●沖縄県「なんくるないさ」「ゆいまーる(助け合い)」「いちゃりばちょーデー(一度会えばみな兄弟)」 ●沖縄県(助け合いの精神(ゆいまーる)「なんとかなるさ(なんくるないさ)」 ●沖縄県「沖縄タイム」「なんくるないさ(なんとかなるさ)」 ●沖縄県「沖縄タイム」。「なんくるないさ(なんとかなるさ)」 血縁や地域のつながり(ゆいまーる・門中)を何より大切にする ●愛媛県:「伊予の優柔」気質:のんびりしていておっちょこちょい ●高知県 :豪快で前向きな「いごっそう」何事も「まっこと(本当に)なんとかなる」 ●高知県:豪快で細かいことを気にしない ●高知県: 「まずは一緒に飲もう」という豪快で開放的な気風 ●高知県:「いごっそう」(頑固で一本気) ●鹿児島県:「薩摩時間」、大まかで豪快。「だいたいこのくらい」という目安 ●鹿児島県:薩摩時間(さつまじかん)豪快でお酒好き ●宮崎県:「ひなた」のような温かい気候の通り、おっとりとしていて物事をポジティブに捉える ●宮崎県:「日向(ひゅうが)かぼちゃ」(外見は地味だが中身がしっかり詰まっていて温かい) ●宮崎県:「日向(ひむか)人」は。「日本のひなた」と呼ばれる、南国のあたたかい気候に恵まれて育まれてきた。「てげてげ(適当に、ほどほどに)」:競争意識が低く、マイペース。時間をゆったり使う「日向(ひゅうが)時間」 ●宮崎県:のんびりした「日向(ひゅうが)かぼちゃ」気質。穏やかで温厚、競争を好まない ●宮崎県:人情味があり、おっとりとした「およし(お人好し)」な性格 ●宮崎県:てげてげ精神、のんびりしていて競争を好まない「日向(ひゅうが)時間」「てげてげ」(適当に、ほどほどに、そこそこに) ●宮崎県「てげてげ(適当、ほどほどに)」 ●宮崎県「いもがらぼくと」(外見は大柄だが、芯が柔らかくお人好し) ●宮崎県「いもがらぼくと(おとなしく素朴で、お人好しな性格) ●宮崎県「てげてげ(適当に、ほどほどに)」 ●宮崎県:のんびり・楽観的な「よだきんぼ」「よだきい」:「めんどくさい」「億劫だ」。「なんとかなるさ」という楽観主義(てげてげ精神) ←大分県:「よだきい」:合理的な割り切りが早いため、無駄だと感じたことに対して「投げやり・面倒」と感じてしまう ●長崎県(おもてなしの心) ●長崎県:開放的な気質 ●福岡県:博多時間(はかたじかん)、あえて遅れて行く習慣。 早く着きすぎると「準備中の主催者に気を遣わせてしまう」という、逆説的な気配り(優しさ) ●福岡県「博多時間」わざと少し遅れて行く「粋な配慮」 ●石川県は「おっとりしてのんき」 ●静岡県(中部) ●静岡県(特に中部):マイペースで穏やか ●千葉県:「マイペースで楽観主義」 ●北海道:「三日住めば皆、道産子(どさんこ)」よそ者を排除しない高い寛容性と、開放的な優しさ ●北海道:細かいルールにこだわらない開放的な気質

陰謀論の定量的研究

2024年に『社会心理学研究』に発表された「日本語版陰謀論的心性質問票の開発と妥当性の検討」。

www.jstage.jst.go.jp

これは、とても網羅的な研究である。ロンドンのゴールドスミス・カレッジでanomalistic psychologyを学んでいたのが2013年だったが、十年経って日本語でも定量的な議論ができるようになった。

陰謀論的心性は妄想性パーソナリティ(paranoid personality disorder)の尺度と相関している。パーソナリティの主要五因子については、イギリスでは開放性(openness)のみと相関があるのではないかと聞いたが、日本での研究では、それほど有意な相関はないようである。

https://www.taf.or.jp/files/items/1929/File/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E8%BC%9D%E5%A4%AA%E9%83%8E.pdf

より具体的な項目を列挙した「一般的陰謀論信奉尺度」も和訳されている。

陰謀論においては、不安は少数の有力者の陰謀に対して投影されるが、これは、偶然起こる災難に対する不安の回避であり、被害妄想とは、むしろ災厄の原因を特定して安心したいという願望であり、これは自分(たち)だけが隠された真実を知っている選ばれた存在だという誇大妄想にも通じる。

文化とパーソナリティと精神分析(私論)

『風の旅人』に連載をするにあたって「出身地」を併記するよう、編集長から頼まれたが、なんとか断った。編集長は、生まれ育った場所が書き手の作風に影響をするからだ、と言っていたが、自分としては、生まれた場所や育った場所、学んだ大学はそれぞれ違うし、人類学を研究するようになってからは、欧米先進国から各地の少数民族の社会まで、いろいろな場所で暮らした。

両親、とくに母親の出身が大阪だったので、大阪には住んだことがないのに、大阪人的な文化の影響は多分に受けたとは思う。なので、出身地を聞かれた場合には、とりあえず大阪と答えることにしてきた。大阪語についても、母語として、ネイティブ同様に話すことができる。

パーソナリティは、遺伝が半分、環境が半分と言われる。遺伝子については、父方、母方、両方が縄文系の度合いの高い日本人であり、都道府県でいえば沖縄県に多いタイプということになる。

宮崎県延岡市で生まれ、一才のときに宮崎市に引っ越し、三歳の時に神奈川県藤沢市に引っ越した。ちょうど三歳まで、宮崎県で過ごした記憶がほとんどない。神奈川県の湘南には、リベラルな雰囲気があったが、海辺で育ったわけでもないので、湘南ボーイというわけでもない。

精神分析などの力動的な精神療法では、乳幼児期の母親との関係が人格形成に決定的な影響を与えるという。

hirukawalaboratory.hatenablog.jp

「ロンドンに住んでいたときには、睡眠障害を訴えただけで一年間も精神分析を受けることになってしまったのだが、診察中に唐突に「父親に敵意を持ったことはありますか」などと聞かれて、面食らってしまったものだった。もし「ある」と答えれば、精神分析の理論は正しかったということになるし、もし「ない」と答えれば、父親への敵意を無意識に抑圧している、ということになってしまう。病気の真の原因が無意識という領域に存在すると仮定してしまうと、その理論は反証不能になってしまう。」

精神分析で細かく聞かれたのが、最初の記憶である。幼児期健忘というのは、だいたい三歳ぐらいまでの記憶がないことをいう。

聞かれてみれば思い出すこともある。家の中に置いてあった踊る埴輪のレプリカ(西都原古墳群のお土産?)、空を飛ぶ飛行機(宮崎空港?)などがあるが、後から聞いた話や、見た写真の記憶と混じってしまっている。

ひとつのはっきりした記憶がある。天気の良い日に家を出て、道を挟んだ向かい側にある草むらに入っていくという光景である。虫取りがしたかった。ワクワクしていた。草は自分の身長の倍ぐらいの高さがあった。逆にいえば、ふつうの草の高さの半分ぐらいしか身長がなかったということになるから、これは背が伸びてからの記憶でもないし、写真を見て構成した記憶でもないといえる根拠があるから、いちばん確からしい記憶である。

精神分析医は、その記憶の中に人がいない、母親がいないのがおかしいと言った。母親がいないのなら、寂しいと思うはずだと言った。しかし、その時の気持ちというのは、背の高い草むらに入っていくという、ワクワクした思いで、とくに寂しいという思いはなかった。


CE2026/06/14 JST 作成 CE2026/06/14 JST 最終更新 蛭川立