日向
記紀などの日本神話で「日向」が舞台になる部分(日向三代)が「日向神話」である。古代の日向は、現在の宮崎県と鹿児島県を含む地域のことを指している。ただし、神話の中に出てくる高千穂や美々津などの地名が、現在の地名や、後の時代に建てられた神社などに、そのまま対応するとは限らない。

日向三代の系譜と、関連するとされる神社[*1]
古墳や埴輪など、考古学的な遺跡は物的な証拠になるが、弥生時代には宮崎県南部の人口が多く、古墳時代の古墳もそれらの地域に多いという傾向がある。

南九州における古墳の年代[*2]
天孫降臨
神話によると、日本の天皇家の祖先でありアマテラスの孫にあたるニニギは高天原から高千穂に降り立った。
高天原は天上界であり地上界ではないが、宮崎県高原町という説がある。
宮崎県の神話観光地図[*3]
高千穂の候補地としては、宮崎県高原町・都城市・鹿児島県霧島市の境界にある高千穂峰と宮崎県高千穂町の二説がある。
天岩戸
天岩戸と称する岩・神社は日本各地に存在するが、高千穂町にも天岩戸神社がある。

人物埴輪「踊る女性」[*4][*5](新田原古墳群・百足塚古墳出土)新富町総合交流センター「きらり」所蔵
新田原古墳群の百足塚古墳からは、意図的に女陰を見せようとしているアメノウズメのような埴輪が出土しているが、衣服を下に降ろして裸になったという神話の記述とは異なる。
バナナ型神話
高天原から日向に降り立ったニニギは美しいコノハナサクヤビメと出会い、求婚する。しかし美しい姉だけを妻とし、醜い妹、イハナガヒメを追い返したため(これは母系社会に多い姉妹型一夫多妻婚を前提としている)、以来、人間である天皇の寿命が有限になってしまったと語られる。(これは、バナナ型神話のヴァリアントである[*6])。
それぞれが葬られた場所は、西都原古墳群にある前方後円墳、男狭穂塚古墳と女狭穂塚古墳だとされているが、それがゆえに発掘調査も行われていない。

コノハナサクヤヒメ(宮崎市木花神社)
[*7]
オーストロネシアの作物起源神話には、バナナ型という神話素がある。インドネシア・スラウェシ島のトラジャの神話。
初め、天と地のあいだは近く、創造神が縄に結んで贈物を天空から下ろしてくれ、それによって人間は命をつないでいた。ところがある日、創造神は石を下ろした。われわれの最初の父母は、「この石をどうしたらよいのか?何かほかのものを下さい」と神に叫んだ。神は石を引き上げて、バナナをかわりに下ろしてきた。二人は走りよってバナナを食べた。すると天から声があって、「お前たちはバナナをえらんだから、お前たちの生命はバナナの生命のようになるだろう。バナナの木が子供をもつときには、親の木は死んでしまう。そのように、お前たちは死に、お前たちの子供があとをつぐだろう。もしもお前たちが石をえらんでいたならば、お前たちの生命は石の生命のように不変不死であったろうに」[*8]
これは、バナナという主食の起源神話であると同時に、寿命の起源神話でもある。人間は美味しい作物という<文化>を手に入れた代わりに、永遠の生命という<自然>を失ってしまった。神話が好んで語るものは火や農耕や婚姻規則などの<文化>の起源だが、それはまた失われた<自然>への憧憬を同時に含んでいることが多い。しかし、ここで想定される<自然>とは、<文化>の側からロマンティックに想像されたものであって、じっさいに<文化>の誕生以前に人間が不死であったわけでも、何百年も生きられたわけでもない。
さて、このバナナ型神話の異文は、また古事記の別の場所に見いだされる。
天から[日向に]降りてきたニニギ(神武天皇の曾祖父)は、コノハナサクヤビメという美しい娘に出会い、求婚する。彼女の父、オホヤマツミは喜んで、コノハナサクヤビメと、姉のイハナガヒメの二人を妻として差し出した。しかしニニギは容姿の醜いイハナガヒメは送り返し、コノハナサクヤビメだけを妻とした。オホヤマツミは深く恥じ入り、「イハナガヒメを妻とされれば、天つ神の御子の命は岩のように永遠で揺らがないものになり、コノハナサクヤビメを妻とされれば、木の花が咲き栄えるように繁栄されますようにと祈願いたしましたのに、このようにイハナガヒメだけをお返しになり、コノハナサクヤビメだけをお留めになりましたから、天つ神の御子の命は、木の花のように儚いものになってしまうでしょう」と申し送った。そういうわけで、今に至るまで天皇の寿命は長くはなくなってしまった。[*9]
ここでは作物の起源神話の要素はなくなり、もっぱら短命の起源の要素だけがみられる。つまり、岩/生物=永遠の生命/死すべき存在、という構造は保たれたまま、岩に対立する要素が、バナナ/美女=食欲の対象/性欲の対象、と変換されていることがわかる。天/地=神/人、が分離し、地上的な存在となった人間は、農耕や婚姻によって地上的な欲望を<文化>的に満たすことができるようになった反面、植物のように枯死すべき存在にもなってしまったということを、これらの神話は語っている。
この日向神話は、古代の日本における、母系制と結びついた姉妹型一夫多妻婚の文化を反映しているが、あくまでも親族構造の説明をしているのであって、「妻は一人でなければならない」とか「女性を容姿で判断してはならない」といった(近代的な)道徳的教訓を述べているのではない。
神武東征
神話上の神武天皇は美々津(宮崎県日向市美々津町という説あり)から出航して、いったん北九州を経由してから、畿内へと向かい、浪速に上陸したところで、大和の勢力と戦い、いったん敗退している。

神話上の神武天皇の東征経路[*10](文献上の地名と現在の地名が対応しているかどうかは不明)
大和に箸墓などの大きな前方後円墳が作られたのが三世紀であり、このころに大和王権が形成されたと考えられるが、約二百年後、西都原古墳群の最盛期は五世紀なので、このころに、後に熊襲・隼人と呼ばれる人々が小国家を形成していたものと推測できる。
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CE2026/06/15 JST 作成
CE2026/06/30 JST 最終更新
蛭川立