蛭川研究室 断片的覚書

私的なメモです。学術的なコンテンツは資料集に移動させます。

何日君再来 現在要微笑

17年前の今ごろ、2003年の4月の半ば、雲南省四川省の省境で発熱し、まるまる一昼夜寝込んでしまった。チベット人のお坊さんたちが重低音で読経しながら自分の葬式をしているという悪夢にうなされていた。

潜伏期間から逆算して、街の市場で食事をしたときに、なにか病原菌が感染したらしい。細菌性食中毒のような症状だったが、検査したわけではない。

ひょっとして、先んじて新種のウイルスに感染してしまい、すでに免疫を持っているのかもしれない。


緊急事態宣言[*1]の発動を報じる新聞(2020年4月、東京都三鷹市

各方面に休業要請が出たということで、さしあたり、今日から外出を自粛し、自宅でSARS事件のときの資料を整理することにした。いま、あの時の体験を授業で取り上げることには、意味があるだろうと思う。

当面は最後の外出かと思って、一昨日は病院に行き、昨日は美容院に行った。

お客様「次はいつ来られるのかもわからないし、もう今日はバッサリ切ってください」
美容師「蛭川さんはあまり短くすると似合いませんから、また、いつもぐらいの長さにしますね」

そういうわけで、髪の長さはあまり変わらなかった。会計を済ませると、美容師さんが扉を開けて店の外まで見送ってくれた。

美容師「これからまたお仕事ですか」
お客様「これから帰宅ですよ。私も仕事がなくなってしまいました」
美容師「仕事がなくなるのも困りますよね」
お客様「いっそ必殺仕事人になって中国の市場に戻りたい。いや暴力はいけませんが、珍獣たちを革命的に解放して山に戻してやりたい。問題を根治するにはそれしかないのです[*2]
美容師「そんなことをしたら、いつ帰ってこられるか。蛭川さんは長すぎても似合いませんから」
お客様「いつまで休業が続くかわからないじゃないですか。髪の毛ぐらい自分で切りますよ」
美容師「来月にはまた会えますよきっと」

脳内で『日本沈没』の主題歌[*3]が流れる。また、中国のことを思い出す。



非典型肺炎の感染が雲南省チベット自治区ではまったく報告されていないのは、情報が隠蔽されているからではなく、高地では紫外線が強くウイルスが生きられないからだという噂が流れていた。すでに首都封鎖された北京から、役人に賄賂を渡して脱出した金持ちたちが雲南に押し寄せてくるという噂も流れた。

雲南省は省境閉鎖を決行し、外部からの渡航者は四川省に強制退去となった。検問所では、宇宙服のような姿をした職員たちが並び、まるで農薬を散布するように、容赦なく塩素臭のする消毒液を噴射してくる。



防毒英雄全面出擊、迎向無毒家園(これはイメージ映像です。2020年の湖北省武漢で撮影されたものです。2003年には、とても映像を撮影している余裕などありませんでした。)

「これではまるで近未来SF映画だ」と嘆きながら退去させられる男性を、少数民族の女性が泣きながら引きとめていた。端から見ている私としても、どうすることもできない。

軍と警察の指示に従わなければ拘束され、どこへ連れて行かれるかもわからない。国家の安全が優先されるとき、私情は超法規的に制限される。非常事態とは非情なものである。

何日君再来。別れは悲しかろうが、生きていればまた会えるときがあるだろう。




テレサ・テン[*4]による日中対訳『何日君再来』(1988)

 

https://stat.ameba.jp/user_images/20191207/08/toukaku2019/14/da/j/o1205182714663304667.jpg?caw=800
何日君再来』(中国語)[*5][*6]

中国語の歌詞は五言絶句と同様の形式を踏襲しており、声調は異なるが「ai」で押韻している。「再見」も「再会」も「See you again」のように、再び会うことを願う別れの挨拶だが、この詩の末尾は「再来(zàilái)」とすることで韻を踏んでいる。

忘れられない あの面影よ 
灯火揺れる この霧の中 
二人並んで 寄り添いながら 
囁きも 微笑みも 
楽しく 溶け合い 
過ごした あの日 
あゝ愛し君 いつまた帰る 
何日君再来
 
忘れられない あの日の頃よ 
微風香る この並木道 
肩を並べて 二人きりで 
喜びも 悲しみも 
打ち明け 慰め
過ごした あの日 
あゝ愛し君 いつまた帰る 
何日君再来
 
忘れられない 思い出ばかり 
別れて今は この並木道 
胸に浮かぶは 君の面影
思い出を 抱き締めて
ひたすら待つ身の 侘しいこの日 
あゝ愛し君 いつまた帰る 
何日君再来

 
長田恒雄訳

別れに際して酒を酌み交わすというのは漢詩の趣である。

また「再来」には「안녕히 가세요」や「selamat jalan」と同様、自分はこの場に留まり、相手が去っていくという含意があるが、これが長田恒雄による和訳では、すでに男は遠くに去っており、それを「待つ」[*7]女という、より和歌の趣を濃くしている。



(他記事と重複していますが、これは走り書きです。学術的に意味のある部分を、授業の資料として再整理します。)
CE2020/04/11 JST 作成
CE2020/08/16 JST 最終更新
蛭川立

*1:「緊急事態」に対応する英語は「state of emergency」だが、これは「非常事態」とも和訳される。中華人民共和国は2003年4月2日~5月30日の間「緊急状態」にあったが、これらは翻訳不能な概念である。中国における「緊急状態」は超法規的な強制力が発動可能となるため、より強い「非常事態」というニュアンスに近い。(孙菊枝(2003).紧急状态下的公共卫生法律法规建设 中国公共卫生 19, 1159-1160.)日本の「緊急事態」では原則として強制力は行使されない。

*2:武漢からのSARSコロナウィルスの再流行は、市場ではなく研究所からだという説もあるが、仮にそうだとしても、流行の発端は広東の市場である可能性が高い。

*3:
www.youtube.com

*4:鄧麗君(1953-1995(チェンマイにて喘息で客死、享年42歳))

*5:toukaku2019 (2013).「テレサテンの何日君再来」『周南市 東郭の世界』(2020/05/17 JST 最終閲覧)

*6:知られざる『何日君再来~いつの日君帰る』」『CRI online 日本語』(2020/05/17 JST 最終閲覧)(中国国際放送局(旧称:北京放送)日本語部による解説。私は中学生のとき、北京放送で、はじめてこの歌を聴いた。電話級アマチュア無線技士の資格を取り、自宅にアンテナを張り、電離層に反射して遠距離から届く短波を受信していた。短波の強弱が太陽の活動や流星バーストの影響を受けることに興味を持っていた。北京や台北平壌やソウルから電波に乗って日本語が流れてくることを知って驚いたものである。

*7:→「走婚ー雲南省モソ人の別居通い婚