蛭川研究室 断片的覚書

私的なメモです。学術的なコンテンツは資料集に移動させます。

【文献】『モソ人母系社会の歌世界調査記録』

この記事には医療・医学に関する記述が含まれていますが、その正確性は保証されていません[*1]。検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。この記事の内容の信頼性について検証が求められています。確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。

下界では、ネコを食べるとネコの毒に当たるという奇病が流行しているらしい。

毒に当たった人が唾を吐くとネコの毒が地面に落ちて、風に吹かれた砂埃を吸い込んだ人がまたネコの毒に感染してしまう。そして熱を出し、まるでネコ風邪[*2]に罹った仔猫のように、咳が止まらなくなり涙を流し、衰弱の挙げ句、命を落とすこともあるという。

すでに非常事態宣言が発令され、中央政府からは唾を吐くと罰金十元という通達が出されたとも聞く。

飛び交う噂を、どこまで信じていいのかわからない。
 
モソ人「漢族はイヌでもネコでも見境なく食べるから変な病気になった」
雲南の漢族「それは広東人だよ。私たちはそんな動物は食べない」
日本人(私)「市場で変な動物を売っているから、屋台で別のものを食べても病気になってしまう」

かく言う私も、まだすこし熱と腹痛があった。ネコの毒ではない。症状からして、食中毒だ。

屋台の料理は美味しいが、衛生の面で問題がある。市場の衛生状態が悪いから、病原菌の温床になってしまう。(それは大問題なので、改めて別の場所で議論したい。ここでの話題は、モソ人の通い婚について。)

モソ人「日本人もソンロンとか変なものを食べるでしょう」
日本人(私)「ソンロン?」
 
こういうときに役に立つのが筆談である。愛らしいモソ女性が、持っていた紙片に「松茸」と書いてくれた。漢字という暗号のようなメディアは、偉大な中華文明の発明である。周辺異民族は、中華帝国の文化に恭順することで、母語を超える相互コミュニケーションの方法を手にした。
 
日本人(私)「マツタケですね」
雲南の漢族「マツタケ?」

私は「松」「茸」という文字を順に指さして説明した。

日本人(私)「日本語では『松(ソン)』は『マツ』、『茸(ロン)』は『タケ』と言うのです。『マツ』はこの木のことですね」
 
私は松の木を指さす。ルグ湖の周囲には美しい松林が広がっている。

f:id:ininsui:20200404233031j:plain
モソの人たちが暮らすルグ湖。標高は2800m(2003年4月撮影)

モソ人「日本人はこんなところまでわざわざ松茸だけを買いにくる」
雲南の漢族「それが一本何千円かで売れるから、商売が成り立つ。あんなに臭いものを」
日本人(私)「私もあまり好きじゃないですけど、中国では食べないのですか」
雲南の漢族「中国人だから何でも食べるわけじゃないですよ。まあ、キノコは食べ物というよりは、漢方薬ですね」



モソ人の社会では、人は性別にかかわらず母親の家にとどまり、性愛の関係にある男女も共住せず、ずっと男が女の家に通いつづける。

女性が子を産めば、その子は性別にかかわらず、母親の家に住みつづける。子が生まれても父親である男性が女性側に移住することはない。もし女性が複数の男性と関係を持っていれば、遺伝的父親は誰だかわからない。

通い婚のシステムを調整するのが、男女の間で交わされる歌である。

Si la go si ma ɲi
(助) 山の斜面 ない

 
木は同じ一つの山の斜面の木ではないけれど、
 

si le bo bo khwɯ bi
(助) くちづけする 〜させる

 
枝を互いにくちづけさせよう。
 
遠藤耕太郎『モソ人母系社会の歌世界調査記録』95.[*3]

二本の木は別の場所に生えているが、その枝は交わることができる、という意味である。「bo」は擬態語で、さしづめ日本語に訳すなら「チュッ」というところか。

遠藤は、同様の歌が萬葉集にもあることを指摘している。

遅速(おそはや)も 汝(な)をこそ待ため 向つ峰(を)の 椎(しひ)の小枝(こやで)の 逢ひは違(たが)はじ
 
(遅くなっても早くなっても、あなただけをお待ちします。向こうの山の、椎の小枝が重なり合うように、きっと逢えると)
 
萬葉集』(14・3493)[*4]



シイは日本から雲南まで続く「照葉樹林文化」の代表的な樹木だが、モソ人の住むルグ湖のあたりは標高が三千メートルほどあるので、落葉樹林帯に属する。

日本人(私)「昔の日本にも同じような恋歌があったのですよ」
モソ人「日本人は、雲南少数民族は昔の日本みたいだと言いますね」
日本人(私)「日本語では『マツ』は、この木のことでもあり、女性が、男性が来るのを『待つ』という、両方の意味もあるのですね。だから松の木には、特別な意味がある」
雲南の漢族「学校で日本語を勉強しましたけど、すぐに着いていけなくなりましたよ。だって、一個の漢字の読みかたが違ったり、同じ音でも意味が違ったり」



掛詞は、同音異義語の多い日本語ならではの詩的表現である。百人一首にも収録されている藤原定家の歌は、「松=待つ」を技巧的に用いた、よく知られた一首である。

来ぬ人を 松帆(まつほ)の浦[*5]の 夕なぎに 焼くや藻塩(もしほ)の 身も焦がれつつ
 
(いつまでも来ないあなたを待って、まるで松帆の浦の夕なぎのころに[塩を煮詰めるために]焼く藻塩のように、私の身も焦がれつづけています)
 
『新勅撰集』(13・849)

じつにいじらしい女心であるが、もっとも作者の定家は男性である。こういう女性がいてくれたらという、いささか身勝手な空想を、男性が詠んでいるのである。たとえて言えば、演歌のようなものか。

雲南の漢族「走婚(通い婚)は、男ばかりに都合がいいのではないですか。女は泣きながら待つしかない」
モソ人「でも、それも悪くはないのですよ。毎晩の義務で来られるよりは、彼がどうしても私に逢いたいときに、そういう気持ちのときにだけ来てくれるから」
日本人(私)「自分が逢いたくないときに男が来ることもあるでしょう」
モソ人「そのときは、彼が扉を叩いても、部屋の扉を開けないのです」
雲南の漢族「好きではない男が来ても断る権利がある」
モソ人「女が夜に出歩くのは良くないのですけど、今は携帯電話で彼を呼び出せますしね」

f:id:hirukawalaboratory:20200413183946p:plain
モソ人の女性の寝室。男性は玄関を通らなくても窓から部屋に入ることができるが、開閉は内側からしかできないようになっている(モソ民俗博物館にある復元家屋、2003年4月)

有線電話が普及しなかったところほど、携帯電話が先に普及し、地上波放送が届かないところほど、衛星放送が先に普及する。

噂話など誇張された冗談のようなものだし、国営放送は観念的な理想論ばかりで、感染の実態を伝えない。だから、意外に辺境の人たちのほうが、外国の衛星放送から仕入れた情報をよく知っていたりする。

いよいよ夜間外出禁止令が敷かれれば、男は女に逢いに行けなくなる。実直素朴なモソの男には、警備兵に賄賂を渡し夜道を素通りするなど、思いもよらないだろう。女は涙で枕を濡らすことしかできなくなるだろう。



記述の自己評価 ★★★☆☆
(まだ書きかけのメモ)
CE2020/04/05 JST 作成
CE2021/09/03 JST 最終更新
蛭川立

*1:免責事項にかんしては「Wikipedia:医療に関する免責事項」に準じています。

*2:ネコカリシウイルス感染症等の感染症の総称

*3:遠藤 耕太郎 (2003).『モソ人母系社会の歌世界調査記録』大修館書店, 95.

*4:[編著者不詳 (c. 783).]小島憲之・木下正俊・東野治之(校注・訳)(1995). 『萬葉集(3)』(新編日本古典文学全集8) 小学館, 497.

この歌は、男が詠んだものとされるが、女が詠んだとする異伝もある。現代語訳は、蛭川による意訳。

*5:松帆岬は淡路島の北端で、この近辺では古代には海水から製塩が行われていた。