hirukawa-notes.hatenablog.jp
(文科系の大学教員の生活習慣指導について)承前。
引きつづき、こんどは後期試験千枚採点行に取り組みつつ、しかし、朝は7時30分に起床、夜は23時30分に就寝、という生活を自らに課している。毎朝の高照度光療法が奏効したのか、あるいは単なる加齢のゆえか、毎朝6時ぐらいに自然に目覚めることも多くなった。
その時間に寝てその時間に起きるというのはごく普通のことで、自らに課すというほど大げさなことではない、と普通の人は思うかもしれないが、その普通のことができないから病気なのであり、治療のための努力を続けているというわけである。
以前の記事を読んだ学生さんが『カント先生の散歩』[*1]という本を貸してくれた。カントが毎朝5時に起床していたのは、ただ内なる道徳律にしたがって自らを律していたのだと思っていたが、そうではなく、マルティン・ランペという使用人に起こしてもらっていたらしい。この男性は元々軍人だったというから、すでにしっかりと規律に従う身体を持っていたのである。
それから、大学で講義、執筆、友人たちを招いて食事、そして散歩、と日課が決まっていたらしい。食事のほうは、また別の料理女の仕事だったという。
二人も使用人を雇えるとはなんと優雅な貴族的生活かと思いきや、とくに社会的な階層が高かったわけではないらしい。じっさい大学に定職を得るのはなかなか難しいもので、ようやく常勤の教授職に就いたのが46歳、持ち家に住み使用人を雇って暮らせるようになったのは、じつに59歳のときだったという。
もっともカントは、しばしば誤解されるような偏屈な独身主義者であったわけではない。むしろ西欧近代的な婚姻制度を観念的に理想化しすぎていたようでもあり、男は家族を経済的に養えなければならないという義務感が強すぎたのだとも言われる。料理の下手な女性と結婚するぐらいなら専門の料理人を雇ったほうが合理的だと考えていたという説もある[*2]。
ともあれ、彼は気の利いた話題の豊富な人物であり、彼自身以上に、友人たちもまた日々の会食を楽しんだという。
CE2020/01/28 JST 作成
CE2020/02/01 JST 最終更新
蛭川立