蛭川研究室 断片的覚書

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春学期レポート、千枚採点行を終える。

朝に弱いくせに、夜になるとまた目がさえてきてしまうのが睡眠相後退症候群の厄介なところである。病棟での生活を内面化しつつ、とにかく毎日、23時には寝て、7時には起きる、という生活を目標にしている。

純粋理性批判』の最初の邦訳を成し遂げた天野貞祐は、講談社学術文庫版の「まえがき」で、自らの学者人生を以下のように回顧している。

私は、明治の末年に哲学を学び始めたころから、哲人カントの人格に親しみを感じ、日常生活においてまでカントをまねて、夜は十時に床に就き、朝は午前五時に起床することを実行してきた。どんなに寒くても、五時に起床して勉強することを固く守ったものである。(中略)京都大学哲学科の教授になってから、カントの『純粋理性批判』の翻訳に全力を傾注するようになった。そして、全巻の翻訳を完成することができた。実に三十歳から六十歳にいたるまで、私はこのことに全力を捧げたのである。私の全生命力を、この仕事に捧げたわけである。
 
天野貞祐「まえがき」[*1]

「どんなに寒くても」五時に起きて仕事にとりかかったという、この天野の雪をも溶かす学究の情熱たるや「冬はつとめて」などという優雅なものではない。まったく男子の本懐、学者冥利に尽きるといった具合である。

五年ほど前に『精神療法』が「“睡眠精神療法学"入門」という特集を組んだ。「精神療法としての生活習慣指導」という論文の中で、プライドが高く医者の忠告を聞かない厄介な人種が六種類ほど列挙されており、その五番目に「文系の学者・大学教員」が挙げられていた。

5.文系の学者・大学教員
  
大学の教員のなかでも文系の学者、とくに、哲学、文学、歴史のような古典学は、実証研究の学者と違って共同作業がない。そのため、主に二つのメンタルヘルス・リスクが生じる。生活のペースメーカーとなるものが少ないため、リズムが不安定になることと、孤独な書斎仕事活のペースメーカーとなるものが少ないため、リズムが不安定になることと、孤独な書斎仕事が中心で、同僚との関係が希薄になることである。
 
人文系の大学教員のなかには、大学に出るのは週3日、会議のある週でも4日で、そのほかのデューティも少ないという場合がある。大学では個室は与えられるが、いきおい、教員同士の交流は乏しくなる。
 
就職は至難であり、大学院を出て、大学にポストを得るまでは、常に「食えない不安」との戦いである。大学や研究機関に職を得れば、その不安はなくなるが、その一方で、メリハリのない生活と、孤独とが心身を弱らせていく。単身者だと翌日講義がないとなれば、夜遅くまで起きて、翌日は昼前まで寝ているような生活に陥りかねない。週末をはさんで、4日間誰とも口をきかないという事態も発生しえる。抗うつ薬を飲んでみても、生活リズムの悪さからくるうつ、孤独からくるうつには効くものではない。
 
人文系の学者にとって、こころの健康の手本とすべきは、ドイツ観念論哲学の祖イマヌエル・カントの生活である。カントの規則正しい生活は、よく知られている。決まった時刻に起床し、決まった時刻に勉強して、午前中の講義を済ませた後、午後は決まった時刻に同じコースを散歩した。町の人が、散歩するカント教授の姿をみて時計の針を合わせたというエピソードは、(多分誇張であろうが)あまりに有名である。一方で、彼は気難しい人物ではなく、昼間の孤独な思索のあとは、自宅に友人を招いて、 一緒に夕食をとるのが常であった。
 
規則正しい生活と人との交流、これがこころの健康の基本である。人文系の学者は、かならずしもカントのように社交的にふるまえる人ばかりではないが、規則的な生活を送ることは可能であろう。まず、「起床・就床時刻を定時化すること。講義・会議のない日も大学に出て、 自室か図書館で過ごすこと」。近隣で開かれる関連の研究会にはできるだけ出席し、名刺を配る、自著論文別刷りを送る、他の研究会情報を入手するなどすることを勧めるといいであろう。

 
井原裕・木本慎二「精神療法としての生活習慣指導」[*2]

さすが臨床現場の現役が書くことにはリアリティがあり、「文系の大学教員」の生理と生態、そしてその弱点をかなり正確に突いている。古い世代の先生がたなら、我々が行っているのは厳密に実証的な文献学であるとか、新しい世代の先生がたなら、今時の大学はそんなに優雅なものではなく、日々研究とは無縁の雑用に追われている、という反論もありそうだが、そうした多忙さが、ますますメランコリーに傾くインクルデンツに拍車をかけている、とも考えられる。

私じしんは孤独ゆえに抑うつ状態になるタイプではなさそうだが、一人で自室にこもって昼夜を気にせず仕事をしていると、誰にも邪魔されずに作業が進められるわけだから、最初は調子が良い。しかしそのうちに、なせか身体が怠くなり、やがては何もできなくなって寝込んでしまう。一人で考えて一人で書いている間に、脳の歯車が空回りしてしまい、やがて動力が枯渇し回転が止まってしまう。

しかし同業者と会って議論すると、空回りしていた歯車がまた噛み合って回りはじめる。電子メールのような抽象度の高いメディアにはまだ適応しきれていないらしく、リアルタイムの身体的コミュニケーションでないと、歯車を再回転させるだけの最大静止摩擦力が得られないと、そんな感じもする。

在宅勤務の日々が続く。

しかし、規則正しい生活だの、同僚と交流せよだのと、そんなことは医者に言われるまでもなく、5時に寝て10時に寝ると自ら決めていたような、そんな昔気質の大学教授の言葉を聞くほうが、身が引き締まり、頭の下がる思いになる。その言葉をまた内面化し、自我という監獄生活を更に充実させようという気持ちにもなるのである。

天野先生やカント先生のご近所さんたちが、カント先生を基準に時計を合わせたのだとしたら、カント先生じしんは何を基準に時間を合わせたのだろう。外界を巡る天体の運動法則を規律=道徳律として内面化したのだろうか。



ニュートンの『プリンシピア』の新しい和訳が講談社ブルーバックスより順次刊行中[*3]である。絶対時間や絶対空間の概念については、追ってまた議論を加えたい。

CE2019/08/10 JST 作成
CE2020/08/30 JST 最終更新
蛭川立

*1:「まえがき」『純粋理性批判(一)(講談社学術文庫404)』講談社, 3.

*2:井原裕・木本慎二(2015).「精神療法としての生活習慣指導」『精神療法』41, 798-803.

精神療法第41巻第6号―“睡眠精神療法学"入門

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  • 発売日: 2015/12/05
  • メディア: 雑誌
(特集の編者は、かつての主治医、原田誠一先生である。)

*3: