蛭川研究室 断片的覚書

私的なメモです。学術的なコンテンツは資料集に移動させます。

『赴粥飯法』

hirukawa.hateblo.jp
タイの出家僧は方々の家庭を巡り、金属製の鉢に少しずつ食事を入れてもらい、全部を混ぜて右手で食べる。全部混ぜてしまうのは美しくないし美味しくもない、とも思う。

しかし、ご飯とカレールウを全部混ぜて食べるのがインド式だし、そもそも美味しいとか不味いとか、そういう感覚にとらわれてはいけない、という思想もまたインド式である。

美味であるか否か、味覚の判断を停止せよという厳しい要求は、中国に渡った仏教では、消えたようで、食前の祈りの文章が入れ替わっている。

日本の曹洞宗の寺院では、道元の食事作法『赴粥飯法』の記述にもとづいた食事が行われる。

器の扱い方なども、非常に細かく決められているようだが、これを形骸化された手続き記憶と解釈することもできるが、慣れない人間にとっては、マニュアルを見ながらでないと、できない。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1f/Gokannoge.jpg
「五観の偈」(臨済宗の訓み下し)[*1]花園大学
 
一 計功多少 量彼来処
二 忖己德行 全缺應供
三 防心離過 貪等為宗
四 正事良薬 為療形枯
五 為成道故 今受此食
 
一つには、功の多少を計り、彼の来処を量(はか)る。
 
二つには、己(おの)が徳行(とくぎょう)の全欠(ぜんけつ)を忖(はか)って供(く)に応ず。
 
三つには、心(しん)を防ぎ過(とが)を離るることは、貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
 
四つには、正(まさ)に良薬を事(こと)とすることは、形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為(ため)なり。
 
五つには、成道(じょうどう)の為(ため)の故に今この食(じき)を受く。
 
曹洞宗の訓み下し)[*2]

サイケ・デリックとは、無意識の意識化である。手続き記憶に従って、無意識で処理していた情報を、意識的に処理することである。オート運転を、いったんマニュアル運転に切り替えるということである。そこで、心身の動かし方をチェックし、そしてまた無意識に返す。これが刺激=反応の再起動である。

曹洞宗では、鉢の中にまた小さな鉢が、再帰的な入れ子状になった、応量器という食器を使う。
chokokuji.jiin.com
手を使って食べるのではなく、箸とスプーンを使う。スプーンを使い、箸置きを使わないのが、意外に日本式ではない。禅文化が発達した南宋の時代の食文化の影響があるのだとか。

この応量器だが、曹洞宗では漆塗りの木製の器を使う。Amazonなどの通販でも売られており、ミニマリスト的な生活者にも愛用されているらしい。

艶が強すぎるものは、逆に安っぽく感じられるが、水板(みずいた)という(『赴粥飯法』には使途が書かれていない、用途不明の)長方形の板については、これは鏡の代わりにするという解釈もある。それならば、むしろ反射率が高いほうが実用性がある。

電子レンジや食洗機を使う生活にも馴染む、磁器製の製品も開発されている。
www.kubara.jp
白い器に加えて、漆塗りと色合いの似た、黒も販売開始となった。



記述の自己評価 ★★★☆☆
(つねに加筆修正中であり未完成の記事です。しかし、記事の後に追記したり、一部を切り取って別の記事にしたり、その結果内容が重複したり、遺伝情報のように動的に変動しつづけるのがハイパーテキストの特徴であり特長だとも考えています。)

デフォルトのリンク先ははてなキーワードまたはWikipediaです。「」で囲まれたリンクはこのブログの別記事へのリンクです。詳細は「リンクと引用の指針」をご覧ください。

  • CE2022/010/30 JST 作成
  • CE2022/12/01 JST 最終更新

蛭川立

*1:Wikipediaに載っている写真は、臨済宗妙心寺派の訓み下しで、曹洞宗とはすこし違う。たまたま私は京都哲学、花園大学とご縁があったので、この妙心寺読みのほうに親しい。チェンマイの山寺では、パーリ語タイ語の相互朗唱も学んだ。 hirukawa.hateblo.jp

*2:

P. 193.

研究生活日誌 CE2021/05/19

朝は8時に目覚める。

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それから勉強したり雑用したり、あまり調子が良くなく昼寝をしたり。

コロナウイルス

nichigopress.jp

たまたま「ブリスベンアメリカで「抗コロナウイルス治療法」開発」というニュースを発見。日豪プレスの記事。ブリスベンといえばUQかと思いきや、グリフィス大学だという。

コロナウイルス」と略してしまうと、どの種かわからなくなってしまう。さらに「コロナ」と略すのは、意味不明だが、流行語なので致し方ないところもある。

では、ふつうの風邪のコロナウイルスに対する抗体が、SARS-CoV-2に対しても交差性を持つのだろうか。それを部分的に裏づける研究もあるようだ。

www.igakuken.or.jp

研究生活メモ CE2021/05/18

おとめ座銀河団

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MacBookの壁紙には、東京の地下鉄路線図と、周囲一億光年ぐらいの「地図」を使っている。これは、忘れてしまいがちな現在地の確認に役立つ。

人類学の講義ノートを加筆修正しはじめて、しかし眠くなって寝たのが3時。

夢からうつつへ

鴨川の河原で議論。源氏物語に交差イトコ婚の理論は適用できない、結局、巨椋池まで辿り着く前にほつれてしまう、そう言われて反論できず、胃が痛くて目覚める。ややこしい悪夢をみていたわけである。午前7時。

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とりあえず胃に何か入れる。また眠ってしまい、10時に目覚める。脳が目覚めないのでモダフィニルを半錠、50という数字を入力しようとすると、五十にして天命を知る、と、いきなり変換候補が出てきて驚き。モダフィニル50mg服用。それからもう半錠、50mg服用。

人類学講義 ーアヤワスカ茶ー

「人類学A」2021/05/18 講義ノート」をもとに、掲示板ディスカッション。活発な議論が続く。じっさいに議論に参加するのが数百人のうちの数人でも、その周囲で聞いていて発言しない受講者も多いようではある。

公立の小中学校は義務教育であるし、勉強ができない子が落ちこぼれないように気をつけなければならないが、大学の場合は、勉強ができる子が「吹きこぼれない」ように、レベルを高めに設定するほうがいいのかもしれない。受講生の平均レベルに設定してしまうと、こんな授業しか受けられない大学に来たのは間違いだった、もっとレベルの高い大学に行くべきだった、と思われかねない。

コウモリであるとはどのようなことか

引きつづき「不思議現象の心理学」の講義メモ。「超能力」の研究もさておき、「薬は効くのか」ということを、統計学の具体的題材にしようかと思う。

上海から来たゼミ生に「夜明砂」という漢方薬のことを聞いてみたら、名前ぐらいは聞いたことがある、とのこと。

ethmed.toyama-wakan.net

富山大学の民族薬物データベースには、ヒナコウモリ科やキクガシラコウモリ科のコウモリの糞便を観相させたものを服用するとある。「夜盲症,白内障などの視力回復剤に用いるほか,結膜下出血の治療に有効である.また小児の疳積,ひきつけ,瘰癧,耳だれに応用するほか,粉末を腋臭止めに外用することがある」ともある。

視力回復というのは科学的な「エビデンス」ではなく、フレイザーが未開の迷信とした「呪術(magic)」である。コウモリは暗いところでも目が見えるから、人間がコウモリを食べれば、同じように暗いところでも目が見えるだろう、という、呪術的思考である。(ただし、コウモリの肉ではなく、なぜ糞を食するのかは、この論理だけでは説明できない。)

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(P. 63)

日本語版Wikipediaの「感染呪術」には「ホメオパシーは現代における感染呪術の一例ととらえる考え方もあり、その科学的根拠に対して批判される一因になっている」ともあるが、呪術は未開人の誤った信念でもなければ、現代社会において、満足な教育も受けられない無知蒙昧な人たちが犠牲になっているのではない。ここでは、呪術的な思考は、人間を三人称的な機械のように扱う、科学的な医学に対するカウンターカルチャーとしての意味を持つ。

ネーゲルは『コウモリであるとはどのようなことか』[*1]の中で、以下のように述べている。

コウモリとともに過ごした経験がありさえすれば、誰でも根本的に異質な生のかたちに出会う。
 
コウモリが体験をもつという信念の本質を形成しているのは、コウモリであることがそのようにあることであるようなその何かが存在しているということである、と私は述べた。さて、周知のように、大部分のコウモリは(正確に言えば哺乳類翼手目に属する動物は)主としてソナーによって、つまり反響位置決定法によって外界を知覚する。すなわち、高感度で微妙に調節された高周波の叫び声を自分から発して、有効範囲内にある諸対象からの反響音を感知するのである。
 
彼らの脳は、発せられる衝撃波とそれによってひき起こされる反響音とを相互に関連づけるように設計されている。そして、このようにして獲得された情報によってコウモリは、われわれが視覚によって行なうのと同じように、対象の距離、大きさ、形、動き、感触を正確に識別することができるのである。
 
しかしコウモリのソナーは、明らかに知覚の一形態であるにもかかわらず、その機能においては、われわれのもつどの感覚器官にも似てはいない。それゆえに、ソナーによる感覚が、われわれに体験または想像可能な何かに、主観的な観点からみて似ているとみなすべき理由はないのである。この事実は、コウモリであることはどのようにあることなのかを理解するために、障害となるようにみえる。
 
われわれは、何らかの方法によってわれわれ自身の内面生活からコウモリのそれを推定することができるかどうか、もしできないならば、コウモリであることはどのようにあることなのかを理解するために、他のどんな方法がありうるのか、を考えなければならないのである。

ネーゲルはまた「われわれが行なう想像の基本的な素材は自分自身の体験である」と言っているが、ネーゲルは知識人であり、そして知識と経験を混同している。ヒトが空間を知覚するのはもっぱら視覚によってであり、だからコウモリが暗闇で正確に飛行するのは、暗い場所でもよく見える正確な眼を持っているからだと類推するほうが自然であり、まさか超音波で空間を定位しているとは思いつかないはずである。

呪術的思考は、ときに致命的な誤りを導いてしまうのだが、続きは、また執筆するとして、さて本日の服薬は、ゾルピデム10mg、フルニトラゼパム1.2mg、モダフィニル150mg、ラモトリギン200mg、その他。あまり減らせていないが、時間が決まった仕事がある日は、フリーランで昼寝するわけにもいかない。



CE2021/05/18 JST 作成
CE2021/05/20 JST 最終更新
蛭川立

*1:原書はWhat is it like to be a bat?で、永井均による日本語訳がある。引用は263頁。

コウモリであるとはどのようなことか

コウモリであるとはどのようなことか

『琥珀の夢』

抗うつ薬としてのアヤワスカ

京都のアヤワスカ裁判で弁護士さんから依頼があり、南米の精神展開性薬草儀礼の「専門家」として「治療抵抗性うつ病に対する精神展開性アヤワスカの迅速な抗うつ作用:無作為化プラセボ比較試験」(Rapid antidepressant effects of the psychedelic ayahuasca in treatment-resistant depression: a randomized placebo-controlled trial.)の要旨を和訳し、去年、京都地方裁判所に提出した。

hirukawalaboratory.hatenablog.com
京都アヤワスカ茶会裁判の詳細については上記URLを参照のこと

南米の文化のことはわかるが、医学の分野は専門ではない。日本語に翻訳する過程で、たくさんの疑問点が出てきたが、末尾著者のDráulio B. Araújo先生(脳のイメージングが専門)には、いろいろご教示いただき、Facebookで友達になることができた。
https://www.facebook.com/draulio.dearaujo

この論文は2018年にアクセプトされ、2019年にパブリッシュされた。ブラジルでは、テレビのニュースでも報じられた。

globoplay.globo.com
Chá do Santo Daime reduz sintomas de depressão, aponta USP de Ribeirão Preto(「サント・ダイミ茶がうつ病を改善、サンパウロ大チームが解明」)」

ブラジルでは朝のおはようニュースで、真面目な女子アナさんが、真面目なニュースとして、ダイミ茶の効能について真面目な顔で語っている。サンパウロ大学、通称USPはブラジルのトップ大学である。日本でいえば「東大」といったニュアンスだろうか。そういう大学が、アヤワスカ茶の研究をしている。

ポルトガル語が聴きとれない読者諸兄姉にはGoogle翻訳がお薦めである。動画の音声をスマホのマイクに入れると、音声が文字に変換され、日本語に翻訳される。

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アナウンサーが読み上げるような言葉は翻訳されやすい。

翻訳の後半は意味がとりにくいが、この薬草茶を服用すると、自らの思考のプロセスを、もう一人の自分が観察するような視点が持てるようになる、というのが大意である。DMTという向精神薬の作用でもあるのだが、ヴィパッサナー瞑想認知行動療法と同じメカニズムである。

治験に協力した宗教法人はバルキーニャなのだが、ニュースの中では「サント・ダイミ茶」として紹介されている。バルキーニャと聞いてもよく知らない視聴者も多いだろうが(私もクリチバにいたときにはバルキーニャなど聞いたことがなかった)ダイミといえば、どこかで聞いたことがある、おはようニュースを観ている視聴者なら、それぐらいは聞いたことがあるだろう、という前提が共有されている。

番組内で紹介されている液体は、アヤワスカ茶よりはやや透明であり、プラセボのほうかもしれない。


パラナ州の州都クリチバ

アヤワスカ茶にせよカヴァ茶にせよ、その薬効はともかく、味が日本人の口に合わない、というのは事実である。原料の植物を育てるのには気温が低すぎる。しかし、同様の成分を含む植物は、いたるところにある。法的な扱いも問題である。

琥珀の夢』

日本でもこんな研究はできないだろうか。現状では、既存の大学という枠組みでは、ほとんど無理そうだし、科研費のような助成金もとれそうにない。

その時代には狂気だとされる発想でも、百年後には常識になる。この「やってみなはれ」スピリットを提唱する、サントリー文化財団に「アヤワスカによるアルコール依存症支援療法の文化的背景」というテーマで申請してみるのはどうだろうか。

昨今、研究の世界では短期的な成果が求められ、多分野にまたがる研究や普遍的なテーマへの取り組み、新しいテーマや手法へのチャレンジなど、大胆な冒険がしにくくなっています。このような時代だからこそ、当財団では、大きな志をもった研究活動を応援します。驚きや発見に富み、研究に携わる人をはじめ、人々を知的にわくわくさせるような申請をお待ちしています。
 
本助成は、人文学、社会科学の分野において、従来の「研究」や「学問」を問い直す知的冒険に満ちたグループ研究活動の支援を通して、豊かな<知>の発展に貢献することを目指しています。
 
冒険的で意欲ある研究を求めます。そして、ぜひ率直にその難しさを教えてください。解決の方法が明らかでなくても、課題や困難を乗り越える道筋を描こうとする「試み」を歓迎します。

 
www.suntory.co.jp

サントリー・鳥井商店の「やってみなはれ」スピリットのことは、このスレッドの別の記事(→「やってみなはれ。やらなわからしまへんで」)に書いた。


www.youtube.com

「日本では無理です」と周囲からは反対されつつも、鳥井信治郞は自ら開発した国産ウヰスキー、グラスの中にゆらめく黄褐色の液体を見つめて「わての琥珀や」と感極まる。これが、ブラジルのニュースで報じられた熱帯雨林アヤワスカ茶と重なって見える。

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治験に使用されたダイミ茶(あるいはそのプラセボかもしれない)
 
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琥珀の夢』は小説だが、モデルになっているのは鳥井信治郞

もし鳥井信治郞が21世紀の大阪に生まれていれば、神戸からブラジルへと船出し、ダイミやUDVの門を叩き、そして日本人の口に合う国産アヤワスカの開発に、男の一生を賭けたかもしれない。


  • CE2021/05/17 JST 作成
  • CE2022/04/09 JST 最終更新

蛭川立

覚書(2021/05/15)

hirukawa-notes.hatenablog.jp
承前。

大川周明

大川周明はアジアの宗教思想の研究科であったと同時に、テロリズムにも傾いていった人物である。その著作は「大川周明先生著作電子化計画」(大川周明ネット)[*1]にアップされている。東京帝大で印哲を学んだ大川は、しかしインドの哲学的伝統は、内面の探求に優れてはいるが、植民地支配などの政治的社会的な問題には対応できないと考えた。

そして、西洋と対峙できるアジアの宗教思想として、政教一致イスラームへと関心を移していく。第二次大戦に至ると、西洋文明を代表するアメリカと東洋文明を代表する日本との戦争は必至だという議論へと飛躍していってしまう。

昼から夕へ

今日は晴れて気温が上がり、気持ちがよい。揚子江気団の湿度は低く、爽やかな初夏の陽気である。朝からメチルフェニデートを飲んで頑張ってきたが、頑張りすぎもよくない。すこし、うとうと。



CE2021/05/15 JST 作成
蛭川立

*1:姉妹サイトの「まんどぅーかネット」は、インド系諸言語の学習に好適なサイトである。