蛭川研究室 断片的覚書

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アサ・カンナビノイドの精神作用と精神文化

大麻取締法の改正に向けて議論が活発化している。依然として大麻は違法であるし、法律を改正するとはいっても、使用罪を創設して取り締まりをより強化しようとしている。

また、精神作用のないCBDなら良いが、精神作用のあるTHCは取り締まる、という方針でもある。

アサ(大麻)に含まれるカンナビノイド、とくにTHCには強い精神作用がある。その精神作用については、もっぱら悪い側面からしか語られていない。。依存症になる、幻覚が見える、パニック発作を引き起こす、精神病を発病する、と語られる。これらの有害作用は、全く間違えではない。しかし、大麻THCの精神作用の良い面は、あまり体系的には語られていない。

カンナビノイドの精神作用については、思いつくたびに、ブログの他の記事で、他に5カ所ぐらい書いたので、リンクを辿りながら、まとめたい。

1977年、京都地裁で行われた、芥川大麻裁判でのアンドリュー・ワイルの証言が、大麻の精神作用について、すでにじゅうぶんに整理している。

www.asahi-net.or.jp

そもそも、アサ(Cannabis spp.、大麻)は、東アジア原産の植物である。精神活性作用の強いカンナビノイドであるTHCを高濃度で含む品種が、とくに北インドにおいて、瞑想や宗教儀礼において使用されてきた。瞑想修行者はアサの花穂(ガンジャ・チャラス)を喫煙し、一般の人々も祭礼においてアサの葉(バング)を服用する。

THCなどのカンナビノイドは瞑想的な意識状態を引き起こすため、古代インド哲学の発展の背景にもあり、仏教もそこから派生した。内因性カンナビノイドであるアナンダミドは、サンスクリット語の「アーナンダ」に由来する。「アーナンダ」とは、ヴェーダーンタ哲学において、意識が存在のほんらいの姿に戻り、自己と他者、自己と世界の分別が消失し一体化した、神聖な至福の状態を意味する。ここでは、意識の変容が人間の意識を通常の状態から変えてしまうというよりは、意識の変容によって人間の意識は正常な状態に戻るのだと考えられている。

アサは多幸感を引き起こし、依存性があるとされる。アーナンダという言葉が示すとおり、カンナビノイドは幸福感をもたらす。これは、有害というよりは、むしろ有益な作用である。仏教を含む古代インド哲学は、我々は、日常的な意識状態の中で物質世界に執着しているのであって、意識変容によって、ほんらいの意識に戻るべきだとする。つまり、我々は日常的な物質世界に対して依存しているのであって、カンナビノイドは、むしろ依存から解放する作用がある。じっさい、カンナビノイドを含むサイケデリックスには、むしろ他の薬物に対する依存性を改善する作用があることが知られている。

カンナビノイドは共感薬、つまり他者への共感性や親密性を増大させる作用もある。THCなどのカンナビノイドは、CB1受容体作動薬は、オキシトシンの分泌を促す。これは、自閉症におけるコミュニケーション能力の改善のための研究も行われている。

カンナビノイドの作用によって知覚の時間解像度が上がる。五感、すなわち視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚などの身体感覚が鋭敏になる。とくに味覚のクオリアが増強され、食欲が増大する。

注意が向けられる時間の幅が狭くなるということは、ワーキングメモリ(短期記憶)の障害という側面を持つが、感覚の時間解像度が上がるということと、記憶の時間の幅が狭まるということは、表裏一体の現象であるから、記憶障害のみを有害な作用とするのは、事実の片方の側面しかみていないことになる。

共感性が高まり、音楽の音の流れと身体が一体化するような感覚を味わう。大人になってから着込んでしまった常識や責任を脱ぎ、裸になって温泉に浸かるような感覚だとも記述している。その人ほんらいの姿に戻す、忘れていた自己を取り戻すために使用されており、その作用を、生がほんらいの姿へと立ち返る、とあらわしている。

カンナビノイドは幻覚を引き起こさない。つまり、存在しないものが知覚されることはない。知覚された像や時空の感覚が歪むことはあるが、これは錯覚という。もっとも、知覚された像を二次的に加工するのは通常の情報処理である。カンナビノイドの使用によって起こらなくなる錯覚もある。たとえば平面像から立体像を錯覚してしまう奥行き錯視は、カンナビノイドの作用によってむしろ起こりにくくなる。すなわち、カンナビノイドによる知覚の変容には、日常的な認知を歪ませる作用もあれば、日常的な認知で歪んでいる知覚を正常に戻す作用もある。

とても平和で穏やかな気分で、音や視覚の感覚も変わっていることに気づきました。普段見落としていた細かな事柄に気づいたり、普段聴いていた音楽の全体感が増し、耳だけで捉えていた音が体全体で捉えているといった感覚でした。

note.com


芸術的創造性はどうか、パンがリーの文学、美術、音楽の大学生を対象とした調査では、アルコールもアサも、思考を弛緩させる作用があるが、インスピレーションを得るにはアサのほうが優れているという。

https://www.researchgate.net/publication/321381885_A_Qualitative_Study_on_the_Effects_of_Psychoactive_Substance_use_upon_Artistic_Creativity


カンナビノイドは快・不快の感覚も双方が鋭敏に増幅されるので、現実逃避ができない。不快の感情が増幅されれば、いわゆる「バッド・トリップ」という不安発作、パニック発作が起こる。精神展開体験においては、不安は、しばしば自我が解体されるような恐怖を味わうこともあるが、これは自我を防衛している偽りの「ペルソナ」が解体され、ほんらいの自己へと向かうプロセスでもある。ほんらいの自己と向き合うプロセスは聖性の顕現としても体験され、それは生理的な快と不快の両方を包含し、かつ超え出るような畏怖、ヌミノーゼの感覚となることもある。

それゆえ「バッド・トリップ」を、たんなる薬剤の副作用による不安発作だとみるのは表面的なものにすぎない。精神展開薬は心理療法の一環として使用されることも多い。インドにおいては、アサの使用が、専門的な瞑想者か、特別な祭礼において認められているのは、意識の変容が安全で、望ましい形で行われるよう、文化的なセット・セッティングが伝統的な文化の中に組み込まれているからである。とくに精神展開薬の場合、それが「濫用」されるのは、それを使用するための文化的含意や教育が行われていないほうに問題がある。

また「大麻精神病」と呼ばれるものは、統合失調症の素因がある場合に、その発症のきっかけとなるのであって、遺伝的脆弱性のない人が統合失調症などの精神病を引き起こすわけではない。


  • CE2022/11/20 JST 作成
  • CE2023/01/17 JST 最終更新

蛭川立