蛭川研究室 断片的覚書

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「病いという物語」と認知バイアス

この記事には医療・医学に関する記述が数多く含まれていますが、その正確性は保証されていません[*1]。検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。この記事の内容の信頼性について検証が求められています。確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。

 
慶応大学の北中淳子先生より、2月23日に予定されていたシンポジウム「医療と人文社会科学の架橋に向けて16:『病いは物語である』[*2]」を中止とする旨の報せを受け取った。運営にあたった先生の多大な御苦労をねぎらうと共に、自然科学の責務は「病い」の究明であり、人文・社会科学の責務は「『病いという物語』という病い」の究明でありましょう、と返信を送った。

感染症のリスク

RNAウィルスによる呼吸器感染症が問題になっている。日本という限定された場所に絞って、類似した疾患についてまとめると、以下のようになる。

疾患名 患者数 死亡率 感染力 流行
新型コロナ 1000 1/100 10 1
SARS 1 1/10 0.1 1 終息
インフルエンザ 100000 1/1000 100 1 終息へ

これは、おおよそのモデルであって、正確な値ではなく、10分の1から10倍程度の誤差がある。SARSは流行当時の値であり、すでに流行は終息している。季節性インフルエンザも流行のピーク時の値であり、四月までにはほぼ終息すると予想される。

「積」というのは患者数と死亡率の積であり、おおまかな死亡リスクの指標となる。

たいがいの疾患は高齢者になるほど死亡率が高くなる。またすでに他の疾患に罹患している人ほど重症化しやすいが、これも年齢とも相関する。老衰死だけで毎日300人のオーダーなので、高齢者になるほど単独の死亡理由がはっきりしなくなる。さらに、入浴中の溺死など、事故死も高齢者のほうが多い。

全ての年齢層を合わせて計算すると、医療が進んでいるはずの「先進国」のほうが「発展途上国」よりも死亡率が高く出る。これは、人口に占める高齢者の割合が多いからである。

伝染病の場合、自分が感染する以外に、他人に感染させることも問題になるが、ここで「感染力」と書いたのは、おおよそひとりの患者が他人に感染させる人数のオーダーである。

2013年3月には中国の上海で鳥インフルエンザA(H7N9)がはじめて人間に感染したことが報告されたが[*3]、この場合でも感染は鳥を経由するもので人間から人間へは直接感染しない。

新しいリスクが過大評価されるバイアス

こうして表にしてみると、毎年の季節性インフルエンザのほうが桁違いに危険なのだが[*4]、それがあまり問題にならないのは、

  1. 新しいリスクに敏感になり、古いリスクには鈍感になる
  2. 周囲の人が問題にしているリスクがより大きな問題に感じられる

という認知バイアスのゆえにである。

1のバイアスについていえば、たとえば結核の患者数は減り続けているが、それでも日本だけでも毎年10万人で、死亡者は2000人であり、まだまだ終息とは言えない状況である。有効な治療法があるのにもかかわらず、あまりに古いリスクなので、半ば忘れ去られようとしているからだ。

職場では毎年の健康診断を中止しようという案も出てきているが、もはや時代遅れとも思われがちな胸部レントゲン検査は、X線で被曝するぶんを差し引いても、今なお結核のリスクを減らせるのである。

しかし、新しいリスクを大きめに評価することは、それが適度であれば、未知のリスクを回避できるので、適応的な認知だといえる。上の表にある、新型コロナウイルスの感染力や死亡率についてはまだ十分な推定ができていない。

また、新しいリスクに対する反応はーたとえ当事者には意識されなくてもー古いリスクを減らすことにもなる。この冬のインフルエンザの流行は春に向かって終息しつつあるが、流行の趨勢は例年の約半分であり、マスクや手洗いといった単純な行動が、数百人のオーダーで犠牲者を減らせる可能性を示唆している。

https://kansensho.jp/images/article/IE00000489_01.jpg
日本国内のインフルエンザ推定患者数[*5]

なお、2のバイアスは1から派生するものだが、いま、こういう記事を書いていること自体も、そうしたバイアスの影響を受けている。

検査が進むと患者が発見されるバイアス

未知の病気の流行が進んでいる場合、検査が進むほどに見かけ上の患者数が増えているようにみえる。しかし、じっさいに罹患している人数は、検査で発見された人数よりも必ず多いはずで、かつ、じっさいの患者数の増大は、検査で発見された人数の増加よりも鈍いはずである。

9年前に福島で起こった原発事故の後で甲状腺ガンの検査が進み、多くの患者が発見されたのも、このバイアスの影響を受けている。これがどの程度原発事故の影響なのかは、同地域での事故以前の数や、他地域での数を比較しなければならないが、ここでは結果についての議論には立ち入らない。

「有害」という言説の相乗効果

また喫煙が新型コロナ感染症のリスクを増大させるという研究結果が出始めたという。
news.yahoo.co.jp

ここでは、この研究結果自体の妥当性は議論しない。喫煙が有害ではないと主張したいわけでもない[*6]。ここで指摘したいのは、伝染病の流行が、喫煙は有害であるとするパラダイムと相互作用を起こしている点である。

喫煙と病気との相関は「喫煙は病気の原因になる」というパラダイムが先にあって、相応の手間と予算をかけて調査することで、はじめて明らかになる。そういうパラダイムがなければ、調査が行われないから、相関も発見されない。また、相関が出なかった研究は公表されにくいという、パブリッシング・バイアスにも注意しなければならない。(パブリッシング・バイアスを評価するためには、メタ分析が必要になる。)

たとえば、線香の煙は受動喫煙と同じように有害なのかもしれないが、それについて積極的に調べようというパラダイムがないから、研究が行われない。

いっぽうで、ニコチンという物質の有害性と、タバコの煙を吸うことの有害性は、しばしば混同されて議論される。上記の記事で紹介されている研究にも、このような混同がみられる。大麻の有害性を議論するときにも、カンナビノイドの有害性・有益性と、喫煙という摂取方法が混同される。議論が脇道にそれてしまったが、薬物の有害性研究におけるバイアスについての詳細は「向精神薬の民俗分類」に譲りたい。

社会的活動の抑制がもたらす影響

多くの人が外出を自粛することは、社会に対して良い影響も悪い影響も及ぼす。自動車で外出する人が減れば、交通事故は減るかもしれない。2020年2月末の時点では、交通事故件数は横ばいで[*7]、とくに減少しているわけではない。

経済への影響も懸念されているが、日本では、失業者数と自殺者数には強い相関があることが知られており、毎年、失業者100人に対し、1人のオーダーで自殺が起こっている[*8]。これは相関関係であり、もちろん自殺者がすべて失業者だというわけではないし、うつ病のような疾患に罹患することで働けなくなるという逆の因果関係も考えられる。

2020年1月の完全失業率は2.4%で、前月の2.2%から0.2%増加している[*9]。これは、単純計算で自殺者の1年あたり2000人、1日あたり5人の増加と対応している。2月以降のデータはまだ公開されていないが、さらに増加することが懸念される。

発見された患者数が公表されないバイアス

これは上記の逆のパターンである。西暦2003年4月に中国でSARSの患者数が急に増えたようにみえたが、これは社会的な混乱を防ぐために、開催中であった全人代中華人民共和国の国会)が終わるまで、発見された患者の報告を控えていたからだと言われている。


非典型肺炎SARS)の予防を訴えるポスター(雲南省昆明、2003年4月)[*10]

中国では新たな感染者はほぼなくなったという。また、北朝鮮の公式発表によると、同国内における新型コロナ感染症の、隔離されていない患者は一人も存在しないとされているが、公表されている人数が不自然に少ない場合は、十分な検査が行われていないか、発見された患者数を意図的に少なく発表している可能性を疑ったほうがよいだろう。

不安、妄想、陰謀論

社会的不安にともなってあらわれるのが、パラノイア的猜疑心や陰謀論である。問題が起これば、その背後にある本当の原因を探ろうとするのは、問題解決に必要な認知である。

妄想とは、事実に反する、訂正不能な信念として定義されるが、いわゆる陰謀論は、そのすべてが事実に反するとはいえない。ただ、事実である確率には濃淡がある。アメリカで行われた研究では、三人に一人が、新型コロナウイルスについての報道に虚偽や誇張が含まれていると考えており、また三人に一人が、このウイルスが実験室で人為的に合成されたと考えている[*11]という。

陰謀論には確からしさの強度がある。

  • 新型ウイルスの感染が始まったのは武漢の市場である
  • 新型ウイルスの感染が始まったのは武漢のウイルス研究所である
    • ウイルスは研究のために持ち込まれたコウモリに由来する
      • ウイルスは過失によって漏洩した
      • ウイルスは故意に噴霧された
    • ウイルスは研究所で合成された生物兵器である
      • ウイルスは過失によって漏洩した
      • ウイルスは故意に噴霧された

話が膨らむほどに、それが事実である確率は低くなる。しかし、ゼロだとは言いきれない。とはいえ、確率が限りなくゼロに近い仮説を信じることには、損失が多く、反例によっても反証不能になると、それは病的な妄想になる。

また、妄想は、偶然、過失によって、ではなく、意図、悪意があり、かつ、それがさらに隠蔽されている、という構造をとりやすい。

信念には、確からしさとは別に、主観的な強度の差異もある。一度ぐらいは「政府は事実を隠蔽しているのではないか?」と問うてみることは、健全な懐疑である。「政府は事実を隠蔽しているのではないか?」という問いに、繰り返しとらわれてしまうと、これは強迫観念である。「政府は事実を隠蔽している」と信じて疑わなくなってしまうと、それを妄想という。

政府が真実を伝えていない、という場合に、事態はそれほど深刻ではないのに、騒ぎすぎではないのか、という楽観的な見方と、事態はずっと深刻なのに、意図的な隠蔽が行われている、という悲観的な見方があるが、陰謀論は、悲観的な見方に偏りやすい。また、支持政党別にみると、隠蔽論をとる人の割合は、共和党支持者で6割、民主党支持者で8割だという。もちろん、単純に共和党が保守的、反動的で、民主党が進歩的、革新的だとは言えないが、このことは、妄想や陰謀論という認知バイアスに、現状を改善しようという機能があることを間接的に示唆している。

多数の陰謀論が存在するが、ある陰謀論を支持する人は、他の陰謀論を支持する傾向があり、陰謀論には一種類しかないともいえる。また、それはパーソナリティにおける開放性[*12]と相関する。悪い出来事の背景にある原因を探し出し、状況を改善しようということ自体は、前向きなバイアスであり、ときには、新たな事実を発見する力にもなる。
 
【おことわり】
以上は認知バイアスについての試論であって、病気の実態や今後について、医学的な正確さを期す議論ではない。最初に書いたことの逆になるが、認知バイアスについての議論は社会的混乱を抑制することができるが、病気自体のリスクを過小評価してしまう可能性がある。



【参考資料】日本における出生数、死亡数、人工妊娠中絶件数[*13]

1年当り 1日当り ピーク
出生数 86万 2400
人工妊娠中絶 16万 440
死亡数 137万 3800
老衰 11万 300
インフルエンザ 3300 9 30
結核 2200 6
うつ病 4000 12
自殺 2万 54
他殺 270 1
配偶者殺人 150 0.4
死刑 3 0.01
交通事故 3200 9
溺死 14000 38 77

感染症の場合、感染は指数関数的に増加するので、数字は単純に比較できない。同時に、病原菌にとっては宿主が死ぬと生きられないというパラドックスがある。

インフルエンザの流行にははっきりした季節性があり、例年、1月と2月がピークで、毎月1000人ほどの死者があり、1日あたりに換算すると約30人になる。2020年の数値は未確認だが、例年の半分ぐらいであろう。

他の国や地域と比べると、日本は自殺が多く、他殺が少ない(→「日照・自殺・殺人」)。自殺も他殺も年々減りつつあるが、ただし、自殺数は高齢化によって見かけ上減少するように見えるので注意が必要である。

他殺の半分が配偶者の殺害だが、性別は半々である。

日本で特異的な問題として、高齢者の入浴中死亡がある。これは溺死の大半を占め、心疾患とも相関する。



記述の自己評価 ★★★☆☆
認知バイアスの考え方を示した議論ですが、数値など事実関係の誤りがあるかもしれません。ご指摘いただければ幸いです。批判的なコメントを歓迎します。)
CE2020/03/07 JST 作成
CE2020/04/18 JST 最終更新
蛭川立

*1:免責事項にかんしては「Wikipedia:医療に関する免責事項」に準じています。

*2:ここで「物語」というのは、巫病のように、病気とそこからの回復が人生の物語として意味づけされるという主旨であり、ここでの議論とはすこし異なる。

*3:私はこの翌月に上海を訪れた。頑張ってN95マスクをしていったが、人間から人間へは感染しない、せいぜいニワトリ料理は食べないほうがいい、といって笑われたものである。

*4:私じしんもインフルエンザのことは甘く見ていて、一昨年、昨年と二年続けて罹患してしまった。38度台の発熱は致命的ではなかったが、なぜか臨死体験のような、平和な光の世界を体験してしまった。ここでは「死亡」をもってリスクの定量的な指標にしているが、もとより苦痛は、そして幸福は定量化できないものである。

*5:感染症・予防接種ナビ』(2020年3月26日)

*6:私じしんはタバコも大麻も喫煙しない。枯葉を燃やして煙を吸うなどというのは、個人的には煙たくて無理である。アレルギー性鼻炎が悪化して以来、好きだったお香はやめてアロマオイルを楽しむようになった。

*7:警察庁交通局交通企画課 (2020).「1 交通事故発生状況/1-2/月別交通事故発生状況」『交通事故統計月報(令和2年2月末)』(2020/04/21 JST 最終閲覧)

*8:要出典。

*9:総務省統計局 (2020).「労働力調査 (基本集計) 2020年(令和2年)1月分」(2020/04/21 JST 最終閲覧)

*10:私はこのとき中国の雲南省でナシ族・モソ人の走婚と送魂について調査中であった。突然多数の患者が報告されたことで社会は混乱し、雲南省は省境を閉鎖、私は四川省に追い出されてしまった。その後、日本へ強制帰国させられることになり、上海を経由して、最後はなぜか福岡へと飛ばされてしまった。

*11:Koetsier, J. (2020).「米国人の3分の1が『新型コロナは人工ウイルス』と回答」『Forbes JAPAN』(2020/04/21 JST 最終閲覧)

*12:パーソナリティの5因子、ビッグファイブにおけるOpnenness。Brotherton, B. (2015). Suspicious Mind: Why We Believe Conspiracy Theories. Bloomsbury, 123.

*13:2018〜2019年の推計値(手間を省くため(!)に出典は明記せず)