蛭川研究室 断片的覚書

私的なメモです。学術的なコンテンツは資料集に移動させます。

消去主義(的唯物論)

前期試験千枚採点行を継続中。締切に間に合わせるように急がなければならないのだが、なかなかどうして、読ませてくれる答案が多い。

心理学の最後の講義のあとで、優秀な男子が「消去主義(的唯物論)」についての質問を持ってきた件について、次回の授業でフォローすることもできないので、すこし立ち話をしたのだが、こういう問題については、折に触れてこのブログ上に覚書を書いていきたいと考えている。

脳という物質だけが実在しており、意識や主観的経験は錯覚である、と言い切っても、論理的な矛盾があるわけではない。しかし、脳だけが実在し、心が錯覚にすぎないのであれば、行為の責任主体もなくなってしまう。それは、論理的な問題というよりは、倫理的な問題であろうと、講義のあと、十分ほど、そんな話をした。

世界は原子の集まりである、という唯物論の伝統は単純明快である。けれども、時代を遡ってみると、古代のインドのローカーヤタや、古代のギリシアデモクリトスといった原子論者はさんざんに非難され、否定され、おおかたの文献も散逸してしまったという。その思想も断片的にしか伝えられていないというが、それでも、探してみると、日本語で読める資料も少なくないようである。余裕があれば、そういう議論まで遡ってみたいものだと思う。

インドの哲学体系I  『全哲学綱要』訳註 I   中村元選集 第28巻

インドの哲学体系I 『全哲学綱要』訳註 I 中村元選集 第28巻

ローカーヤタ―古代インド唯物論 (1978年)

ローカーヤタ―古代インド唯物論 (1978年)

國學院大學に蔵書があるので取り寄せることができると出てきた。果たして、このような「外道」の思想書を蒐集されているのは、宮元啓一先生であろうか。)
ソクラテス以前哲学者断片集〈第1分冊〉

ソクラテス以前哲学者断片集〈第1分冊〉

マルクス・コレクションI

マルクス・コレクションI

マルクスの博士論文が中山元の訳で読めるようになっていることを知った。その中で、デモクリトスが、はるばるインドまで出かけていって、裸型の行者と問答をしたという、そのことが、引きこもって観相ばかりしていたエピクロスと対比され、肯定的に論じられているのが面白い。)

2019/08/01 JST 作成
蛭川立