蛭川研究室 断片的覚書

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邪術と妖術

エヴァンス=プリチャードは『アザンデ人の世界』[*1]の中で「アザンデ人は、その性質がいかなるものであれ、病はすべて妖術か、邪術のせいだと考える」(和訳、550頁)と述べている。

ここで「呪術(magic)」とは、「呪薬(medicines)」を用いることによって目的を達することができると考えられている技術であり、「呪術」といえば、ふつうは「良い呪術(good magic)」のことである。「悪い呪術(bad magic)」は、「邪術(sorcery)」と同義である。また「妖術(witchcraft)」とは、特定の人物の体内に存在する「妖物(witchcraft substance)」という物質から発散される心的な力によって人の健康や財産に危害を加えることである。これらの用語は、8-13頁で定義されているが、特定の解釈枠による演繹的な分類ではなく、アザンデ社会における儀礼的行為と信念体系から帰納的に導かれた概念に、こうした(英語の)用語を当てている。

エヴァンス=プリチャードのエスノグラフィーは、事実関係の記述が主で、あまり著者自身の解釈はなされていない。彼の書いたものが、古さを感じさせない理由でもある。

そのように指摘した上で、訳者である向井元子は「訳者あとがき」の中で「妖術と呪術は(中略)負の贈り物ではないかという気がする。妖術を贈られ、呪術でお返しをする」(627頁)という解釈を書き加えている。「負の贈り物」とは、言い得て妙である。攻撃し合うこともまた、積極的な社会的コミュニケーションになっているのだ、という機能主義的な解釈には、じゅうぶんな説得力がある。

精神分析の立場から書かれたスティーブンスの『エディプス・コンプレックス[*2]
の中でもアザンデの例が引き合いに出され、「呪術信仰は(中略)偏執病的被害妄想に類似している」(159頁)とコメントしており、精神医学の視点からすれば、当然、そのようにみえるだろう。しかし、この本の中では、偏執病は無意識の同性愛衝動に由来するという精神分析独特の解釈へと議論が進んでいく。精神分析の影響を受けた心理人類学は、逆に解釈しすぎてしまうきらいがある。

中南米の先住民社会では精神展開薬(サイケデリックス)を含む薬草が治療儀礼に用いられる。とはいっても、薬草を服用するのはむしろ呪医のほうであり、呪医は変性意識状態になって、クライエントを攻撃し病気を引き起こしている妖術師を探すが、じっさいにはそのような妖術師は必ずしも存在しない。

近代化された自我を持つ人間が精神展開薬を服用すると、不安やうつが改善されるという。その一方で、被害妄想のような副作用があらわれることがある。コカインやメタアンフェタミンなどの中枢刺激薬によってドーパミン系が過活動になっても被害妄想があらわれる。しかし、そうした薬物が、もともと妖術を告発するために使われてきたのだとすれば、副作用というよりは、むしろそれ自体が社会的に必要とされてきた作用なのかもしれない。

2019/07/28 JST 作成
2019/09/27 JST 最終更新
蛭川立

*1:エヴァンズ=プリチャード, E. E. 向井元子(訳)(2001). 『アザンデ人の世界―妖術・託宣・呪術―』みすず書房. (Evans-Pritchard, E. E. (1937). Witchcraft, Oracles and Magic Among the Azande. Oxford University Press.)

アザンデ人の世界―妖術・託宣・呪術

アザンデ人の世界―妖術・託宣・呪術

*2:ティーブンス, W. N. 山根常男(訳)(1977).『エディプス・コンプレックス―通文化的実証―』誠信書房. (Stephens, W. N. (1962). The Oedipus Complex: Cross Cultural Evidence. Free Press of Glencoe.)

エディプス・コンプレックス―通文化的実証 (1977年)

エディプス・コンプレックス―通文化的実証 (1977年)