テレンバッハの『メランコリー』
テレンバッハのメランコリー論において、単極性うつ病を特徴づける二つの概念が「インクルデンツ Inkludenz (封入性)」と「レマネンツ Remanenz (負目性)」である[*1]。
内海健は、インクルデンツは空間的、レマネンツは時間的な付置だとする。「インクルデンツとは、慣れ親しんだ秩序空間が硬化し、制約的なものとなり、閉じ込められた状況のことである。レマネンツとは、自分自身に遅れを取ることであり、負い目を負う状況である。両者はいずれもメランコリー親和型性格者のあり方を規定しているが、発病状況を構成する時には、これが自家撞着に陥るのだとされる」[*2]。
いっぽう、内海は、双極性障害の場合「現状を乗り越えていこうとする傾向が顕著に認められる。とくに、逼塞し、停滞した状況を忌避する。メランコリー型のような自己限定に甘んじようとしないのである。そして発病への傾斜に際してもなお、あるいは普段よりもなお、インクルデンツやレマネンツを打開しようとする」[*3] とする。この躁病的打開を、テレンバッハは「痙攣的超越(crampus transcendentalis)」と呼ぶ[*4]。「インクルデンツを突破し、レマネンツを、病的な『自らに先立ってある』形式に変更する」のである。
ゲーテ
さらに内海は、病跡学的症例として、ゲーテの「新しい愛・新しい生」を引用している[*5]。
私にはもうおまえがわからない おまえが愛していたものはすべて消え おまえを悲しませていたものも去り おまえの努力も安らぎも今はない。
ああ なぜこんなことになったのか?
かぎりない力でおまえをとらえるのは あの花かざりの乙女か? あのいとしい姿か? 真心と善意にみちたそのまなざしか?
すばやくあの人から離れようと勇気を出して彼女から逃れようとしても たちまち引きもどされる。ああ あの人のもとに!
断ちきれぬ この魔法の糸で この愛らしい解き放たれた乙女は 有無を言わさず私を縛る その魔法の輪の中で 彼女の意のままに生きねばならないのか。
ああ なんというひどい変わりよう!
恋よ!恋よ!私を自由にしておくれ![*6]
恋が成就すれば、やがて相手の女性に束縛されると感じるようになる。これがインクルデンツである。自由を求めてその安住から飛び出すことは、痙攣的超越である。むろん、そこには病的な無責任という側面もある。
これは、行動生態学的にみれば、雄の繁殖戦略とみることもでき、遺伝的素因の大きい精神疾患の遺伝子が淘汰されずに進化してきたという事実にたいする、ひとつの回答ともなりうる。
*1:テレンバッハ, H. 木村敏(訳)(1985). 『メランコリー』 みすず書房, 51.
*2:内海健 (2013). 『双極Ⅱ型障害という病—―改訂版 うつ病新時代――』 勉誠出版, 140-146.
*3:内海健 (2013). 『双極Ⅱ型障害という病—―改訂版 うつ病新時代――』 勉誠出版, 140-146.
*4:テレンバッハ, H. 木村敏(訳)(1985). 『メランコリー』 みすず書房, 124.
*5:内海健 (2013). 『双極Ⅱ型障害という病—―改訂版 うつ病新時代――』 勉誠出版, 140-146.
*6:原文はLiebe! Liebe! laß mich los! 「恋」と訳すと、新しい女性との恋に期待しているようにも読めてしまうが、そうではなく、自分を封入している現在の「愛」から自由になりたい、という願望である。
*8:Opa!(オパァ!)とは、ブラジルポルトガル語で「うわぁ!」という意味である。