蛭川研究室 断片的覚書

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光トポグラフィー検査

単極性うつ病うつ状態双極性障害うつ状態は症状がよく似ており、通常の問診では区別が難しい。これを客観的な計測で鑑別できる方法として使われはじめているのが、光トポグラフィー検査である。

近赤外線を大脳皮質に照射し、反射して戻ってきた光から皮質の血流量、つまり脳の活動の度合いを計測する。何かを考えようと努めているとき(ふつう言語流暢性検査が行われる)、健常者では脳は活発に活動するが、うつ病だと頭が働かない。双極性障害うつ状態の場合には、しばらくすると活発になる。なお、統合失調症の場合、反応は不規則である。とくに言語流暢性課題が終わった後で急に血流が増えるといった変則的なパターンがみられる。


健常(NC)、統合失調症(SZ)、うつ病(DP)、双極性障害(BP)の波形の平均[*1]
 

うつ病躁うつ病統合失調症、健常者の「典型的な」波形[*2]

ただし、波形は個々人によって多様であり、それを平均化すると、それほど大きな特徴はみられない。

健常・精神疾患の判別

通常、計測は前頭部と側頭部で行い、重心値(反応の遅れ)と積分値(全体の活動量)の二つの指標によって定量的に分析される。

まず、大うつ病双極性障害統合失調症患者(それ以外の精神疾患は対象となっていない)と健常者を比較すると、積分値、つまり全体の活動量が低いことがわかる。


うつ病双極性障害統合失調症患者と健常者の側頭部積分値の分布[*3]


側頭部積分値の基準を変えた場合の精神疾患の判別感度[*4]

側頭部積分値が精神病患者群の標準誤差以上であれば、9割が健常だということがわかり、カットオフポイントの目安が116とされている。

逆に、それ以下であっても精神疾患であるといえる確率は低い。積分値の低い健常者も多いからである。

うつ病双極性障害統合失調症の、それぞれの識別についてはどうだろうか。


単極性うつ病(紫)と双極性障害(青)の分布[*5][*6]
 

単極性うつ病(紫)と統合失調症(赤)の分布[*7][*8]

個々の患者ごとのデータはばらつき、重なっており、それぞれの「症候群」が、じっさいには複数の疾患の集合であるようにみえる。双極性障害と診断された患者群の80%以上がGroup3に入ることが示されているが、これは、問診による診断が先にあった場合のことであって、光トポグラフィー単独での診断精度ではないことに注意する必要がある。

逆に、このデータから読めるのは、大うつ病双極性障害か区別できないような抑うつ症状があった場合、Group3(反応が遅く、その後も不活発)であれば全員が、Group1(反応が早くても全体的に不活発)であればほとんどが大うつ病である、ということであり、Group2(反応が遅いが、その後は活発になる)の場合は、判断が難しい、ということである。

検査の実際

私が国立精神・神経医療研究センター病院光トポグラフィー検査を受けたのは2017年7月28日である。


光トポグラフィー検査の流れ」[*9]

検査は午前中に行われたが、相変わらずの夜型生活で、朝起きて外出するだけでもえらく難儀であり、半分眠っているような状態だった。


国立精神・神経医療研究センター病院での光トポグラフィー検査

「あいうえお」を発声する課題の後で、言語流暢性課題に入る。「あ」や「き」や「は」で始まる単語など何百も知っているわけだが、むしろ知っている言葉の数が多すぎて、うまく言えなくなってしまう。あるいは、なぜか魚のイメージが次々と涌いてきたり、言語連想検査で無意識のコンプレックスを検査しているような感じでもあった。

検査結果とその解釈


 

結果のグラフは、立ち上がりはやや遅いが、その後は振り切れている。報告書の文章は、人工知能が出力したような、すこしぎこちない日本語である。

(1)「躁うつ病あるいは統合失調症パターンの波形に近い結果を示しています」というのは、結果が上記の二次元平面の、Group2に落ちるということである。言い換えれば「単極性うつ病ではないので、それ以外、つまり双極性障害統合失調症か」ということである。

(2)「そして、定性的判読では躁うつ病パターンに近い波形として経験があります」というのは、波形自体を見れば、課題終了後に再上昇するなど、統合失調症に見られるような不規則な揺れがみとめられないので、(1)から統合失調症という可能性を落とすと、残るのは躁うつ病だということになる。

ただし、ここで「定性的」「経験」を持ち出してくると、器機による客観的な計測から、人間による経験的な診断へと逆戻りしてしまう。

検査の後で、「M.I.N.I」[*10]による構造化面接によって操作的な診断が行われたが、そちらのほうの結果は知らされていない。

その後、入院したときに、病棟主治医に、検査の数値だけからみれば「躁うつ病あるいは統合失調症」という以上のことは言えないのではないか、と問うてみた。答えは、蛭川さんが統合失調症ということはないでしょう、プレコックス感[*11]がありませんから、とのこと。この「プレコックス感」なるものこそ、人間的な、あまりに人間的な臨床的直感の最たるものである。こうした「臨床の知」を否定するつもりはない。ただ、それと検査の数値を混ぜてしまうと、診断に混乱が生じる。

もし、光トポグラフィーの数値だけから客観的に「診断」をするのであれば、私の場合はグラフが振り切れるぐらいに脳が活動しており、側頭部の積分値は194となっているから、健常者と精神疾患のカットオフの目安である116を大幅に越えている。先に引用した感度の表からすれば、そもそも私は90%以上の確率で「大うつ病双極性障害統合失調症のいずれの精神疾患でもない」ということになる。にもかかわらず報告書に「躁うつ病あるいは統合失調症」と書かれているのは、最初から健常者である可能性を考慮していないからである。

なぜ、このような混乱が生じるのだろう。それは、医師による診断の事後的な補助として使われるべき光トポグラフィーが、あたかも七割程度の客観性が保障されているバイオマーカーであるかのような言説が独り歩きしてしまっているからである。

とはいえ、医師による経験的な診断には客観性がない。操作的診断おける客観性とは信頼性のことであって、妥当性は保留するのが操作主義の立場である。光トポグラフィー検査の積分値と重心値の散布図における患者個々人の値が大きくばらついていることと、全体を平均するとグラフが特徴を失ってのっぺりしてしまうことは、検査の精度が低いからではなく、操作的診断によって「単極性うつ病」「双極性障害」「統合失調症」とされる分類が、異質な疾患の集合である可能性も示唆している。

この、狐につままれたような循環論法から脱するためには、それ自体で確実といえるバイオマーカーが見出される必要がある。

付記:「躁うつ病」をめぐる概念の混乱

なお、上記の文章、引用文献では、「躁うつ病」と「双極性障害」という別々の用語が、同義に使われている。このことについては、歴史的な経緯を振り返って整理しておく必要がある。

クレペリンは、精神医学の教科書を執筆し、改訂を重ねていく中で「躁うつ病」という疾病概念を確立させていった。この広義の「躁うつ病」には、単極性のうつ病も含まれていた。うつ状態だけが発症し、躁状態は発症していない、躁うつ病の一種だというのである[*12]。クレペリンは多くの症例を緻密に観察したのだが、狭義の「躁うつ病」と単極性うつ病うつ状態は見かけ上区別が難しく、症状が似ているものは当座、同じ病気とみなす、という立場から、それらを「躁うつ病」というひとつの「症候群」にまとめたのである。

その後、遺伝学をはじめとする近年の生物学的研究は、クレペリンが定義したような(広義の)躁うつ病を、「双極性障害(狭義の躁うつ病)」と「単極性うつ病(大うつ病)」とに分け、前者がより統合失調症に近い精神病であるというスペクトラムを明らかにしてきている。つまり、双極性障害のほうが単極性うつ病よりも、より内因性の強い精神病だということでもある。
 



記述の自己評価 ★★★☆☆
 
2017/10/17 JST 作成
2019/05/06 JST 最終更新
蛭川立

*1:滝沢龍・福田正人(2010).「精神疾患の臨床検査としての光トポグラフィー検査(NIRS)—先進医療「うつ症状の鑑別診断補助―MEDIX, 53, 30-35.

*2:野田隆政・中込和幸 (2012). 「精神疾患の診断ツールとしての光トポグラフィー」『認知神経科学』14(1), 35-41.

*3:滝沢龍・福田正人(2010).「精神疾患の臨床検査としての光トポグラフィー検査(NIRS)—先進医療「うつ症状の鑑別診断補助―MEDIX, 53, 30-35.

*4:滝沢龍・福田正人(2010).「精神疾患の臨床検査としての光トポグラフィー検査(NIRS)—先進医療「うつ症状の鑑別診断補助―MEDIX, 53, 30-35.

*5:滝沢龍・福田正人(2010).「精神疾患の臨床検査としての光トポグラフィー検査(NIRS)—先進医療「うつ症状の鑑別診断補助―MEDIX, 53, 30-35.

*6:福田正人(監修)・心の健康に光トポグラフィー検査を応用する会(編)(2011).『NIRS波形の臨床判読——先進医療「うつ症状の光トポグラフィー検査」ガイドブック——』中山書店, 63.

*7:滝沢龍・福田正人(2010).「精神疾患の臨床検査としての光トポグラフィー検査(NIRS)—先進医療「うつ症状の鑑別診断補助―MEDIX, 53, 30-35.

*8:福田正人(監修)・心の健康に光トポグラフィー検査を応用する会(編)(2011).『NIRS波形の臨床判読―—先進医療「うつ症状の光トポグラフィー検査」ガイドブック——』中山書店, 62

*9:厚生労働省中央社会保険医療協議会(2008).「先進医療専門家会議における第2項先進医療の科学的評価結果

*10:Sheehan, D. V., Lecrubier, Y. 大坪 天平, 宮岡 等, 上島 国利(訳)(2003).『M.I.N.I.―—精神疾患簡易構造化面接法 日本語版5.0.0——』星和書店

*11:Praecox-Gefühl。訓練を積んだ精神科医が感じる、Dementia Preacox(早発性痴呆)つまり後に統合失調症と呼ばれるようになった疾患に独特の雰囲気とされる。

*12:西丸四方により和訳されているクレペリンの教科書は、第八版の『躁うつ病てんかん』である。313-315頁を参照。[asin:462202165X:detail]