蛭川研究室 断片的覚書

私的なメモです。学術的なコンテンツは資料集に移動させます。

【口述】「2024年度の人類学A」の授業を始めるにあたって

去年の秋にはSADに罹患しました。気温の急低下によって脳が急いで冬眠準備を始めたのでしょうか。自室に引きこもって過眠と過食、書類や原稿の締切を破る、伸ばすという「罪」を冒したぶん「負目性」は増える一方であり。だから仕事をしたくないといって、当座は一人暮らしの部屋の一角に敷いた布団の上で布団をかぶってじっとしているぐらいしかなかったのです。

今年の2月ぐらいになって復活してきました。そして4月からは学部生の講義です。一般教養の和泉は人類学のAで、どちらかというとBよりも狭い分野を扱います。これは、今の二年生が秋にになって蛭川の分析ゼミを選ぶかどうかの参考にしてほしいからです。

人類学とは何か?という宣言から演繹的に始めるのが学問としての体系としては美しい。しかし、それが現代の情報社会に生きる人間にとっては何の役に立つのか、という点で、あえて授業の初回では、京都で起こった、引きこもりの大学生が自分のうつ病自殺念慮アヤワスカのお茶を飲んで自己治療してしまったという事件を取り上げたいと思うのです。

アメリカ大陸の先住民族の文化、薬草や世界観という研究と、現代の日本で若者が心を病み、医者に相談に行くよりもネットで薬を買ってなんとかしようという、そういう21世紀的な文化の交錯するところを象徴する事件でした。

事件は五年前でしたが、私じしんが去年にうつ病に罹患したことで、人類学者としてではなく当事者としての医療サイケデリックスの研究に参入していくべき運命を感じています。

(作文中です)