蛭川研究室 断片的覚書

私的なメモです。学術的なコンテンツは資料集に移動させます。

当事者研究としての人間ドック

明日の朝から人間ドックではなかったかということを思い出し、慌てて電話をして確認。毎年、三月、春休みの時期に、杏雲堂病院に行くようになった。

重くて動かない体を無理やり動かして、5時直前に健康保険組合の窓口に飛び込んで書類を受け取る。

三月に入っても真冬のような冷たい雨で、体の重さと気温の低下が関係するような、やはりこれは冬眠病なのかなと思う。

四時間しか眠れず、朝は七時に起き、しかし絶望的に起き上がれない。メチルフェニデートを一服して、尿を採取して、なんとか病院へ。

季節性感情障害とか、非定型うつ病というと、「感情」や「うつ」のような精神的な用語が使われているがゆえに、それが心身全体のシステムの挙動だということを歪めてしまう。内因性精神疾患の呼称も変化しつつある。精神分裂病統合失調症になり、躁鬱病は双極症になり、心や精神に関する言葉が消えた。

もっとも、この「鬱」という複雑極まる象形文字[*1]は、木々が「鬱蒼」と生い茂るさまをあらわしており、むしろ濃密な生命力という含意を持っている。「うつ」とひらがなで書いてしまうと、この鬱蒼とした語感がなくなってしまう。

「de-press」のように、下へ押し込むという意味合いはない。それからギリシア語の「melancholia」は胆汁から分泌される黒い液体のことであり、心理や精神とは関係のない概念である。

癲狂

その後、調べたところでは、古代中医学では、黄帝内経の時代にすでに「癲狂」の概念が確立されていたという。「癲」はてんかん、「狂」は躁鬱病である[*2]。なるほど研究室にある『黄帝内経』の22章は「癲狂編」となっており、ここに「癲」と「狂」についての記述がある[*3]。「狂」についての記述は、まず悲しみから始まり、次に、偉そうにして笑いながら騒ぎ、さらには幻覚や疑心暗鬼におちいる、とあるから、これは、うつ、躁、統合失調症の順に記述したものとも読める。

これは、古代ギリシャヒポクラテスアリストテレスてんかん躁鬱病について記述していたことと並行している。

日本でも平安時代には癲狂という概念が確立し、「もの・くるい」という和語があてられるようになった[*4]

精神病のもっとも中核にあって遺伝病でさえあるはずの統合失調症は19世紀に出現し、20世紀には軽症化が進んだという。これは未解明の謎である。

オピオイド

胃カメラの検査は、しらふではパニックになるので、全身麻酔を希望している。喉の麻酔をしても、それでも拘束された場所で、喉に長くて硬い棒を挿入されるという状況が怖い。以前はベンゾジアゼピンで眠らせてもらったこともあるが、ベンゾは身近なもので面白くない。

この三年はペチジンでの麻酔をお願いしている。モルヒネと同じ、μ-オピオイド受容体アゴニストである。これは意識を保ったまま痛みを止めるので、モニタに映った胃の中の映像を観ることができる。

オピオイドは依存性薬物として悪名高いが、年に一度だけ、点滴を楽しむ(?)。じっさいに使ってみて感じるのは、たしかに安らかな気分にはなれるが、カンナビノイドのような深い無責任状態にまでストーンすることはない。

むしろ、どうにも落ち着かない。「ボンヤリしている場合ではない。もっと働かなければ」という焦りが出てしまう。以前に飲んだ咳止めのジヒドロコデインも同じ感じだった。そもそも自分はオピオイドに親和的なパーソナリティではないのだが、多くの日本人もまた同じだろう。

テストステロン

身体の部位別の筋肉では、右腕と両脚の筋肉量は正常範囲内とのこと。荷物を持って歩いているからだろう。

基礎代謝からして、筋肉のつきやすい体質だと説明を受けた。テストステロンが多いことと関係があるのかもしれない。


記述の自己評価 ★★★☆☆ (つねに加筆修正中であり未完成の記事です。しかし、記事の後に追記したり、一部を切り取って別の記事にしたり、その結果内容が重複したり、遺伝情報のように動的に変動しつづけるのがハイパーテキストの特徴であり特長だとも考えています。)


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CE2024/03/06 JST 作成
CE2024/03/11 JST 最終更新
蛭川立