蛭川研究室 断片的覚書

私的なメモです。学術的なコンテンツは資料集に移動させます。

サイケデリックスによる依存症の改善

クラシック・サイケデリックスには精神依存性があり、耐性が形成されるが、使用しなければすぐに元に戻る[*1]LSD、シロシビン、メスカリンには交差耐性があり[*2]THCアンフェタミンとは耐性を形成しない[*3]。逆耐性が形成され「フラッシュバック」が起こることもある。離脱症状はなく、身体依存性はない。サイケデリックスは嗜好品として多用されることは少なく、むしろ学術的、芸術的、瞑想的、宗教的な文脈で使われることが多い。

サイケデリックスは長い歴史の中で宗教や芸術の領域で、「長期にわたって」「繰り返し」使用されてきたが、これは、いわゆる「常習性」や「依存性」とは階層が異なる。依存性薬物に依存するという階層に対し、AA・NAのミーティングに繰り返し参加し、繰り返し告解を行うことは、いわばメタ認知の階層である。

EPQ-30(神秘体験尺度)の三次元目は「形容不能性」という逆説的な項目になっているが、サイケデリック体験には、つねに「good trip」と「bad trip」の両面がある。キリスト教神学の立場から、Ottoは宗教体験の核心にあるヌミノーゼ(das Numinose)には「魅せられる」と「不気味なもの」という相反する要素がある[*4] と論じているが、現象学的な分析は宗教学の考察に譲りたい。臨床心理学的には、サイケデリックスは、無意識のうちに行っている認知バイアスにたいする気づきを促すので、心理療法と組み合わせれば、抑うつ、トラウマ、嗜癖、薬物依存、不安、強迫をー解消するというよりはー自省を促す作用がある。

サイケデリックスは、むしろアルコール、ニコチン、コカイン、オピオイドなどの依存性物質にたいする依存症を改善する[*5]。とくにibogaineは5-HT2A受容体のアゴニストであると同時にκ-オピオイド受容体のアゴニストでもあり、オピオイドにたいする依存に対して有効だが[*6]、循環器系への負担が大きいという問題もある。

たとえばアルコール依存症については、脳内のmGluR2(代謝グルタミン酸受容体)タンパク質の不足によって起こるという生物学的仮説があり、シロシビンはmGluR2を増加させるという実験がある[*7]

AA(アルコホリクス・アノニマス)の創始者であるBillは、1936年にベラドンナAtropa beladonna)療法を受けた後で、霊的(spiritual)な光と遭遇し、アルコールを止め [*8]、「sobriety」という状態を得た。その後、ビルはLSDを服用し、この霊的覚醒(spiritual awakenness)を追体験した [*9] とされる。AAはその伝統に従い、Billの見解に対して意見を表明していない。

しかし、サイケデリックスが依存性薬物ではなく、むしろ12ステップにおける「神」を理解する補助として用いられる可能性は積極的に検討されている[*10]。あらゆる薬物から離れてクリーンな状態になるというのは偏った観念であって、脳内では内因性DMTや内因性カンナビノイドが生合成され作用しているのだから、クリーンになることはできないのである。

なぜ薬物が薬物依存を改善するのだろうか。サイケデリック体験は「インスタント悟り」と形容されてきた。ヴィパッサナー(vipassanā)瞑想やマインドフルネス、あるいは認知行動療法と相似しており、抑うつや不安に典型的な「反芻思考」に対するメタ認知的な「気づき(awareness)」を促す。AAの12ステップとLSD体験の並行性をシステム理論によって理論化したBatesonによれば「じぶんがはまり込んでるっていうのに気づくことが、中毒(原文はaddiction)から抜け出す鍵になる」 [*11] のである。Batesonのアイディアの多くは日本の禅仏教に由来しているが、我が国では形骸化した仏教を文化資源として活用できる有利な立場にある。

ただし「観察している自己」を観察している自己、という自己言及的な認知が無限の入れ構造になることがある。大学生は「世界の構造には再帰性がある」と証言しているが、彼はまた思考の階層性がベイトソンの学習の階層性[*12]に対応するとも証言している。

1960年代のアメリカでは、シロシビンが受刑者に回心の体験を引き起こし、再犯率を下げるという古典的な研究が行われたが、その後、長期にわたる縦断的研究が続けられている[*13]。アルコールを含む薬物関連の犯罪の再犯率を下げる[*14]ことは、薬物依存と嗜癖的な犯罪との間に相関関係があることを示している。


記述の自己評価 ★★★☆☆ (つねに加筆修正中であり未完成の記事です。しかし、記事の後に追記したり、一部を切り取って別の記事にしたり、その結果内容が重複したり、遺伝情報のように動的に変動しつづけるのがハイパーテキストの特徴であり特長だとも考えています。)


デフォルトのリンク先ははてなキーワードまたはWikipediaです。「」で囲まれたリンクはこのブログの別記事へのリンクです。詳細は「リンクと引用の指針」をご覧ください。


*1:https://pubs.acs.org/doi/full/10.1021/acschemneuro.2c00170?casa_token=XQEzjoEzOPYAAAAA%3AMODLEbqJh0RW85fZQQrIIyd563428TIbEMsrzSphlORphf-yIUMLHdYGXBZXkvKK_SiuA_22vxvvynTXNQ

*2:https://pubs.acs.org/doi/full/10.1021/acschemneuro.2c00170?casa_token=XQEzjoEzOPYAAAAA%3AMODLEbqJh0RW85fZQQrIIyd563428TIbEMsrzSphlORphf-yIUMLHdYGXBZXkvKK_SiuA_22vxvvynTXNQ

*3:Tolerance to Lysergic Acid Diethylamide: Overview, Correlates, and Clinical Implications.

*4:ルードルフ・オットー 華園聡麿『聖なるものーー神的なものの観念における非合理的なもの、 および合理的なものとそれとの関係について』 (Rudolf Otto (1936). Das Heilige, Über das Irrationale in der Idec des Göttlichen und sein Verhältnis zum Rationalen.)

*5:Psychedelic Treatments for Substance Use Disorder and Substance Misuse: A Mixed Methods Systematic Review.

*6:John Martin Corkery (2018). Ibogaine as a treatment for substance misuse: Potential benefits and practical dangers.In Psychedelic Neuroscience (Progress in Brain Research Volume 242), 2018, Pages 217-257.

*7:Marcus W Meinhardt, Simone Pfarr, Grégory Fouquet, Cathrin Rohleder, Manuela L Meinhardt, Janet Barroso-Flores, Rebecca Hoffmann, Jérôme Jeanblanc, Elisabeth Paul, Konstantin Wagner, Anita C Hansson, Georg Köhr, Nils Meier, Oliver von Bohlen Und Halbach, Richard L Bell, Heike Endepols, Bernd Neumaier, Kai Schönig, Dusan Bartsch, Mickaël Naassila, Rainer Spanagel, and Wolfgang H Sommer (2021). Psilocybin targets a common molecular mechanism for cognitive impairment and increased craving in alcoholism. Science Advances, 7(47), eabh2399. doi: 10.1126/sciadv.abh2399.)

*8:(Anonymous)『アルコホーリクス・アノニマス』, 10-21.

*9:Carl Jung and Alcoholics Anonymous : The Twelve Steps as a Spiritual Journey of Individuation McCabe, Ian.

*10:Classic psychedelics in the treatment of substance use disorder: Potential synergies with twelve-step programs.

*11:ベイトソンベイトソン星川淳訳1987-1992『天使のおそれー聖なるもののエピステモロジー』東京、青土社、224. Angels Fear. 127

*12:

*13:Dr. Leary's Concord Prison Experiment: A 34-Year Follow-up Study

*14:Hallucinogen use predicts reduced recidivism among substance-involved offenders under community corrections supervision.

サイケデリック体験と心理尺度

https://www.researchgate.net/profile/John-Akers/publication/337592974/figure/fig3/AS:830168394366979@1574938977621/Altered-States-of-Consciousness-Scale-55.png LSD、シロシビン、ケタミン、MDMAの11D-ASCによる評価[*1]

クラシック・サイケデリックスであるLSDとシロシビンは類似した作用を示すが、解離性麻酔薬であるケタミンは自我の解体と不安を起こしやすく、エンタクトゲンであるMDMAは知覚の変容や不安をともなわずに歓喜の感情を特異的に引き起こす。

不安の強さは、ケタミン>>LSD>シロシビン>MDMA、である。

https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs41598-019-50612-3/MediaObjects/41598_2019_50612_Fig6_HTML.png?as=webp リトリートにおけるシロシビンとプラセボの比較(5D-ASC、11D-ASC、MEQ30)[*2] シロシビンの使用と比較すると、プラセボを投与されたリトリートでも効果があることがわかる。共感覚などの知覚変容はサイケデリックスによる薬理作用でしか起こらない。


記述の自己評価 ★★★☆☆ (つねに加筆修正中であり未完成の記事です。しかし、記事の後に追記したり、一部を切り取って別の記事にしたり、その結果内容が重複したり、遺伝情報のように動的に変動しつづけるのがハイパーテキストの特徴であり特長だとも考えています。)


デフォルトのリンク先ははてなキーワードまたはWikipediaです。「」で囲まれたリンクはこのブログの別記事へのリンクです。詳細は「リンクと引用の指針」をご覧ください。


CE2023/04/28 JST 作成
CE2022/04/28 JST 最終更新
蛭川立

蘭学と舎密学

舎密手前

西暦2004年3月6日、土曜日に行われた「華和茶会舎密手前」の記録を発見。


明治大学駿河台校舎で行われた華和茶会

www.isc.meiji.ac.jp

舎密という江戸期のオランダ語を使おうと思ったのは、1997年、アムステルダムとライデンを訪問したときに、19世紀におけるインドネシアの文化と日本の文化が、いずれも旧植民地の文化として並列して研究されていることに関心を持ったという、そんなきっかけもあった。


ライデン大学の近くで見つけた芭蕉の句

茶道を学んでいた黒川先生は「舎密」の「密」という言葉が、天台宗台密真言宗東密のような、秘教的な実践のニュアンスがあると面白がってくださった。

カヴァラクトンは、天然のカンナビノイド受容体作動薬である。カンナビノイド受容体作動薬は、誤って使えば毒になる。毒を薬として扱うのには、秘教的な知識として伝法される必要があるというわけだ。

デカルト松果体で精神と物質が相互作用していると考えたそうだが、化学とは、物質によって精神を制御しようという先鋭的な思想の基礎づけともなっている。

https://ontheworldmap.com/netherlands/map-of-netherlands-and-belgium-benelux.jpg Map of Netherlands, Belgium and Luxembourg (Benelux)

イボガを取り扱っているIboga Worldは、オランダのアイントホーヘンに拠点を持っているが、発送は南アフリカからである。Chemical Collectiveはユトレヒトに拠点があるが、製造工場はLizardLabsである。この工場はアメリカに違法なオピオイドを輸出しようとして摘発された。その後「.nl」のアカウントで再開した。やはり拠点はオランダらしい。

サイケデリックルネサンスは欧米の流行でもあるが、オランダではマーストリヒト大学でも研究が進んでいるという。

ホモ・ルーデンス

ライデン大学で研究を続けたホイジンガは、もともとサンスクリット語を学んだ碩学だったが、インドネシアと日本の文化にもまた明るい人であったという。

ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』には「遊びと裁判」という章があり、「競技としての訴訟」という節がある。

法や条例は抽象的なルールだが、法廷という「聖域」で行われる裁判は、いっしゅのスポーツであり、本質的には遊びだというのである。

昔、裁判官だった男が私にこう書き送ってきた。 『我々の訴訟記録の様式と内容をみれ ば、弁護士諸君がどれほどスポーツ的楽しみにひたりつつ、弁論や反論をもって しかも、まことに多くの詭弁をあやつりながら攻撃し合っているかがよくわかります。 彼らの精神状態をみるとしばしば、ジャワの〈慣習法(アダト)〉裁判における代弁人を思い出しますね。 この人物は一つの議論をぶつたびに地面に小さな棒を立て、最も多く棒を立てたものに裁判 競争の勝ちを収めさせようとねらうのです』。

ホイジンガホモ・ルーデンス[*1]143.

このオランダ人の裁判官は、ジャワ島の統治についても通じていたようだ。ジャワ島では土着の慣習である「adat」と、イスラーム法との解釈の違いが問題になっていたからである。オランダの統治のシステムが、ジャワ=バリ人の劇場国家に対して適用できなかったことは『バリ島物語』[*2](Baum (1937).Lieben und Tod auf Bali)にも描写されている。

バタイユホイジンガのこの概念を引き継いで「ホモ・ルーデンス」とは「遊ぶ人、特に、驚異に満ちた芸術の遊びを遊ぶ人間」と再定義している[*3]

ここでいう「遊び」は、たんに「労働」をしないこと、あるいは、無駄なこと、無意味なことをするという意味ではない。生物学的な生存とそのための労働の世界を超えた、より驚異的な意味の世界に自らを投入するのが「遊び」なのである[*4]。あるいは、カイヨワが『遊びと人間』[*5]で提示した遊びの類型の中でも「目眩」に対応しているともいえる。

ギアーツの「深い遊び(dep play)」という概念はバリ島における闘鶏から着想を得ている。

このことは、「化石人類の物質文化と精神文化」で論じたのだが、これもまた整理したい。

hirukawa-archive.hatenablog.jp


*1:ホイジンガ, J. 高橋英夫(訳)(1973).『ホモ・ルーデンス中央公論新社. (Huizinga, J. (1938). Homo Ludens: Proeve eener bepaling van het spel-element der cultuur. Wolters-Noordhoff cop.)

*2:

*3:「いずれにしても人類学者たちのいうホモ・ファーベル(労働の人間)は、遊びが誘(いざな)っていったかもしれぬ道の方には踏みこまなかった。あとから来たホモ・サピエンス(知識の人間)だけがその道に踏みこんだ。その踏みこみかたは断乎としており、手練に輝き天分に充ちた一個の芸術が、おそらく最初の粗描からしてただちに生れ出たのである。こうした形でホモ・ファーベルの狭苦しい世界を開放した者に、私たちはホモ·サピエンスの名を与える。だがこの名称はあまり的を射たものとはいえない。原初期に形成された少量の知識はホモ·ファーベルの労働に結びついている。ホモ·サピエンスの寄与はまことに逆説的なものだ。つまりそれは芸術であって知識ではないのである。ホモ·サピエンスという名称は、知識こそが人間を動物から隔てるものだと、人びとが今日よりももっと一途に思いこんでいた時代の証言となるものである。馴鹿時代の人間を、特にラスコー人を問題とするのならば、私たちは知識ではなく、本質的に遊びの一形態たる美的活動を力説した方が、先行する時代の人間から彼らをより正確に分つことになるのではなかろうか。ホイジンガホモ・ルーデンス(遊ぶ人間、特に、驚異に充ちた芸術の遊びを遊ぶ人間)という美しい表現の方が、ラスコー人にはふさわしいし、唯一の適切な表現でさえあるだろう。この表現だけが、ネアンデルタール人というホモ·ファーベルに対応する像を、この上なく正確に刻むことができる。ホモ·ファーベルは発育不良症であった。どんなに軽やかに飛躍しようとしても、四足獣めいた体形の鈍重さを克服することができなかった。鈍重さという点で彼は類人猿の件間だったのだ。よく笑う、誘惑好きな遊び=の=人の、出来のいい様子(人間にはしばしば出来損いの醜怪な実例があり、それが対照的にきわだたせるわけだが)、決然とした至高者的な物腰は、人類学がついに適切な命名を見出せぬまま、ようやくホイジンガに至って満足すべき名を与えられた、ホモ ルーデンスに始まるのである。ホイジンガが指摘したとおり、ホモ·ルーデンスという名称こそ、作品によって人間世界に芸術の功徳と光輝をもたらす者にふさわしい呼び名であり、さらにいえば、人類全体がこの名称で確実に命名されたと見るべきなのだ。従属的活動性を示すファーベルと対立するもの、自己目的にしか意味の拠りどころを持たぬもの、つまり「遊び」を指示するための、これは唯一の名称ではないであろうか。今日なお人間が自尊心の根拠としている肉体的外貌を持つに至ったのは、いずれにしても人間が遊びを実行し、実行しつつその遊びというものに芸術作品の恒久性と驚異の相とを賦与しえたときのことであった。もちろん遊びは進化の原因とはならない。しかし、鈍重なネアンデルタール人が労働と一致し、繊細な人間が芸術の開花と一致することは疑いを容れないのだ。たしかに遊びが、すでにある程度幼虫状態の人類の鈍重さを減らしていなかったという証拠はない。しかし幼虫期の人類には、人間の意味を芸術の意味に結びつけ、その場かぎりのことにせよみじめな必要性から人間を解き放ち、人それぞれが生甲斐とする「豊饒」の奇蹟的な光にともかくも私たちを到達させてくれた、あの遊びという人間的世界を創出する力は持たなかったのである。」バタイユ, G. 前掲書, 85-87.

*4:ギアーツは、バリ島民の闘鶏について「ディーププレイ(深い遊び)」という論考を記している。
ギアーツ, C. 吉田禎吾・中牧弘允・柳川啓一・板橋 作美(訳)(1987).『文化の解釈学Ⅱ』岩波書店, 389-461. (Geertz, C. (1973). The Interpretation of Cultures: Selected Essays. Basic Books.)

*5:

作られた伝統から最初の楽園へ

ブラジルとペルー

hirukawa.hateblo.jp

南米の薬草文化の現代化、とくにペルーにおけるアヤワスカ・ツーリズムについて論じたが、観光化による伝統文化の発展については、インドネシアのバリ島が先例として挙げられる。

レヴィ=ストロースを読むと、南米の先住民文化が神話的思考によって構造化されているかのように考えてしまうが、ことアヤワスカの茶会については、シピボのクランデロはあまり説明や解釈をしない。イカロには精霊の世界が歌われるが、それだけである。これはブラジルのアヤワスケイロの儀礼にも受け継がれている。サント・ダイミのトラバーリョに参加しても、聖歌は歌いつづけるが、体系だった教義は語られない。
hirukawa.hateblo.jp
レヴィ=ストロースと1930年代のブラジルについては別の場所でも重複することを書いた。

レヴィ=ストロース構造主義は、オランダ構造人類学の影響を受けている。

オランダ構造人類学は、オランダ領東インド、つまりインドネシアの文化からつくられたものである。とりわけジャワ文化の影響が強い。もっともジャワ島以西の島々はイスラーム化によって文化が整備されたのに対して、ジャワ文化の構造をよく伝えているのはバリ島である。彼らの儀礼は入念であって、それはアマゾンの先住民のそれよりもずっと繊細である。
hirukawa-archive.hatenablog.jp
これは、北インドイスラーム化された後の、タントラ的な象徴世界を引き継いだのがネワール人だというのとも並行している。

バリ島

hirukawa.hateblo.jp
バリ文化については拙著の原稿に写真や動画を加えたものをアップしたが、だいぶ長くなったので、個々の記事に切り離したい。

1930年代のオランダ統治下における文芸復興については、まずベイトソンの著作のリストをまとめた。

hirukawa.hateblo.jp

それから、現代バリ絵画の発展をたすけた白人、シュピースについて、日本語で読める書籍。

敬語の文化

バリの文化については、日本語で直接書かれた文献も多い。ヨーロッパ語を介さずに敬語表現ーつまりは社会的状況ーを理解するのに役立つ。年齢、性別、地位の相対的関係における言語や非言語的行為の使い分けは、しばしば漢民族の、いわゆる儒教道徳と結びつけられるが、中国語には細かい敬語表現はなく、朝鮮・韓国語や日本語に顕著である。さらに、ジャワ語・バリ語や、その他メラネシアからポリネシアにかけての文化においても敬語は発達しており、西太平洋のオーストロネシア語圏の文化だともいえる。

朝鮮、日本は漢語が、ジャワ・バリではサンスクリット語が外来の優れた文化をあらわす語として、硬い、丁寧な表現として用いられる。ジャワ語・バリ語では、matahariとsuryaのように敬語の中でサンスクリット語への言い換えがあるが、日本語の場合には漢語への置き換えは少ない。日本語における「太陽」と「ヒ(日)」の違いには、敬語としての意味の違いはない。

英語版wikipediaの「honorific(敬語)」
en.wikipedia.org
には、異文化としての敬語が論じられている。西太平洋から東アジアにかけての地域とは別に、中米のナワトル語の複雑な言語体系にも触れられている。



記述の自己評価 ★★★☆☆
(つねに加筆修正中であり未完成の記事です。しかし、記事の後に追記したり、一部を切り取って別の記事にしたり、その結果内容が重複したり、遺伝情報のように動的に変動しつづけるのがハイパーテキストの特徴であり特長だとも考えています。)

デフォルトのリンク先ははてなキーワードまたはWikipediaです。「」で囲まれたリンクはこのブログの別記事へのリンクです。詳細は「リンクと引用の指針」をご覧ください。

  • CE2023/02/25 JST 作成
  • CE2023/02/25 JST 最終更新

蛭川立

画像情報論再論

情報科学センターで画像情報論の講義をしていたのが2004年から2008年ごろだった。静止画像や動画の基本的なフォーマットは変わっていない。

VRが流通するようになったが、あまり一般化していない。スマホは進化したが、もっぱらカメラ機能が進化している。無線でWEBに接続しサイトをブラウズし、メッセージの交換をするという基本は変わっていないし、そのために必要な処理能力はすでにじゅうぶん達成されてしまったからである。

iPhone(14・13・12・SE)のカメラ性能の違い7つを徹底比較 | デジクル

静止画のファイル形式はjpgよりもpngが増え、avi形式の動画はPremireでも使いにくくなった。VLCなどで変換するか、いったんYouTubeにアップして、まだダウンロードするという裏技もある。


  • CE2023/02/24 JST 作成
  • CE2023/02/24 JST 最終更新

蛭川立