蛭川研究室 断片的覚書

私的なメモです。学術的なコンテンツは資料集に移動させます。

外出自粛勧告下出勤

政情の安定した日本で、外出自粛、集会自粛の勧告が行われるのは、異例のことである。

出勤が必要な仕事もほとんどキャンセルになってしまったものの、今日は学生相談一件のためだけに出勤。不急とはいえ臨床的な業務は休業しないというのが職場の倫理。

授業への出席が不足し、成績不振という女子学生。見た目は賢そうで、受け答えも明朗かつ真面目である。両親と暮らしつつも、明け方に眠り、夕方に起きる生活で、あまり大学にも来なくなってしまった、という。夜間のアルバイトと学業との両立が難しくなるケースもあるが、学費は親御さんが支払ってくれているので問題はない。学費は払ってやっているのだから、と父親から諭されて、これは自分でも良くないなと思いつつも、大学での勉強に興味が湧かない、という。といって、他の活動に熱心だというわけでもない。友人関係で悩んでいるというわけでもない。

個人を特定できないように、内容は多少変えたが、といっても、こういう相談は多く、個人の問題というよりは、豊かで停滞した社会全体に漂う、集団的な雰囲気のようにも感じられる。

彼女は恵まれた環境にあり、具体的な問題を指摘するのが難しい。あるいは、恵まれすぎているのかもしれない。強いていえば、生活の基本は睡眠から。これは、私じしんが大学に入って一人暮らしを始め、生活が自堕落になってしまったことへの反省でもある。

夕方に起きてから身支度をして出かけても、大学の授業はほとんど終わっている。まずは起きる時間を毎日、たとえばお昼の12時とか、目標を決めてみたらどうでしょう、一人暮らしではないのだから、ご家族にも協力してもらって、と言いつつ、親の顔が見たい、とも思うが、きっとリベラルで物わかりの良いお父さんなのだろうな、と想像してしまう。

じっさい、私じしんが人並みに子を持っていれば、その子は今ごろ大学生になっているだろうし、きっと私は強い父性を欠いた、物分かりの良いお父さんになっていただろうから、だから彼女の家族の問題は、私じしんにも跳ね返ってくる問いかけである。

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新型コロナウイルス感染報告数を3月30日(GMT)の値に更新[*1]。日本で感染が広がっていない理由が「強い社会的規範に対する服従、マスクの着用」から「市民的服従、マスクの着用」に変わっている。

今日も東京の街は平穏である。武装した警官や兵士も見かけない。そもそも、日本では軍隊は表には出てこない。戦争という集団的暴力によって問題解決をすることを反省し、率先して軍隊は持たないということにしたのである。同様の理由からか、日本の街では、ほとんど日本の国旗を見かけることはない。

現実には、米軍が日本を守るというしくみになっている。多くの人たちは、かつてこの街を空爆で焼け野原にしたアメリカを憎んだりはしていない。むしろ人々はアメリカの自由闊達な文化に憧れている。けれども、星条旗を目にすることも少ない。

街中でいちばん目につく国旗はといえば、イタリアの国旗である。次は、フランスの国旗だろうか。もちろん、ここはイタリアの領土ではないし、かつて同盟国であったからでもない。アメリカやフランスの文化に憧れる人は多いが、イタリアの文化に憧れる人は少ない。

日本語では「ふれあい」という言葉がよく使われるが、じっさいには身体接触は好まれない。人口が集中する首都では、満員電車だけは必要悪だとされているが、自発的なパーソナル・スペースは広い。身体接触を伴わない「濃厚接触」という日本語は、イタリア語には翻訳不可能だろう。人々は、家に帰れば靴を脱ぎ、手を洗う。それは、平時からの習慣である。

日本では入浴の文化が特異に発達しているが、清潔好きだからというだけでなく、バスタブに体温よりも熱い湯を入れてその中に浸かるのが、娯楽であり健康法だとも考えられている。入浴中に発作を起こし溺死する高齢者が後を絶たないことから、湯の温度を下げなければ健康法にはならないという啓蒙活動が行われているが、一般にはあまり浸透していない。

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入浴中の溺死数(人口10万人当たり)
[*2]

往来は清潔である。むやみにゴミを捨てたり唾を吐いたりする人を見かけない。世界安全都市ランキングでトップを争うシンガポールで、もしそんなことをすれば、警察沙汰、罰金刑であるが、日本の清潔さは外的な権力の強制によって保たれているのではない。内的な規範、あるいは衆目の監視のゆえに、である。自動車が走っていなくても、歩行者は赤信号を守る。人々は秩序を愛し、謙遜と礼儀正しさを美徳としている。

人々の服装も、地味ではあるが小奇麗である。スギ花粉症の季節にしては、マスクをしている人が少ないと思うぐらいである。マスクは品薄で、物が溢れているコンビニエンスストアやドラッグストアに行っても、マスクだけは売り切れている。人々がマスクを買うために行列を作っているのを目にするようになったが、東京では、人々は整然と行列を作る。他人を押しのけて我先にと殺到することがないから、それに介入する警察も軍隊も必要ないのである。

強いていえば、町並みの建築には統一性がなく、とりわけ密集した看板に、漢字文化圏特有の猥雑さを感じる。それは、言論と表現の自由度の反映でもある。

夜間に一人歩きをしていても、かりに女性であったとしても、海外の大都市ほどには身の危険を感じることはないだろう。

不可解な例外は、アルコール飲料による派手な酩酊が公衆の場で許されていることだろうか。ことに桜が咲き乱れる季節に屋外で酔って賑やかに騒いでいる集団をみると、その本性においては決して陰気で堅苦しいばかりではなく、案外と人なつこい人たちなのだとも思う。

この百年ほどの間に、地震や大火や、空爆で壊滅しかけた都市だとは思えないぐらい、自由で豊かで安全な空間が守られている。かりに病原菌や放射性物質によって汚染されていても、それらは目には見えない。

電車は時刻どおりに正確に運行し、数分でも遅延が生じれば、鉄道会社の職員が、自分一人の責任ででもあるかのように謝罪の言葉を尽くす。電車の遅延の原因として、耳慣れてしまうほどアナウンスされる「人身事故」の意味は、深く省みられることはない。併記されている英語には「accident」とあるのみで、漢字を解さない人には、どういう事故なのかもわからない。



CE2020/03/27 JST 作成
CE2020/04/21 JST 最終更新
蛭川立

*1:Financial Times.FT Visual & Data Journalism team (2020). Coronavirus tracked: the latest figures as the pandemic spreads | Free to read. Financial Times.(2020/03/31 JST 最終閲覧) この図は、100人の集団から感染が広がっていく様子を表しており、国ごとの比較が容易だが、人口による補正は行われていない。日本の人口は1億3000万人であり、中国やインドはその10倍、ヨーロッパの主要国はその半分、シンガポールや香港は一個の都市である。人口比からすると、ヨーロッパでの患者数が1000人に1人であるのに対し、中国は1万人に1人、日本は10万人に1人のオーダーである。報告されている患者数は実際の患者数よりも必ず少なく、検査の頻度や情報公開の不透明度に依存する。また、高齢化が進んだ国ほ感染者の割合も多くなる。しかし、それを差し引いても、これだけ差が出る理由は「社会的規範に対する服従」なのだろうか。

*2:市川衛 (2019).「日本では『お風呂で溺死する』人が多い 入浴時の「ヒートショック」意外な原因と対策は」『Yahoo! JAPANニュース』(2020/04/21 JST 最終閲覧)