蛭川研究室 断片的覚書

私的なメモです。学術的なコンテンツは資料集に移動させます。

遺伝情報のデジタル化

遺伝情報のデジタル化が義務づけられ、データは国立の研究機関が一括管理し、国際的なネットワークを通じて連携が行われる。性行為や婚姻関係は社会的に計画された生殖からは切り離される。専門委員会の審査を経ない「自然」な妊娠や出産は禁止される。社会的な生殖計画に抵触しないという条件を守るかぎりにおいて、性や婚姻は、いわば個人の自由な娯楽の権利として許容される。(また、こうした世俗の規則から離れたい人のために、出家の制度も整備される。)そうした近未来的な世界を思い描くのは、もはや困難ではない。

加速度的に進化するデジタル・ネットワークが人類を支配下に置く日はそう遠くないとも言われるが、そうなったときには何が起こるだろうか。おそらく、気づかないうちに何かが起こってしまっていた、ということを、後から振り返ることになるのだろう。コンピュータの性能が人間の知能を超えたとき、まさにそのゆえに、コンピュータの挙動は人間には理解不可能なものになるだろう。

私事ではあるが、医学研究用に提供したものではあるのだが、国立精神・神経医療研究センターバイオバンクと、理化学研究所脳科学総合研究センターの冷凍庫に、白血球の核のDNAが冷凍保存されている。SNPsだけではなくエクソンの情報すべてまで読み取られデジタル化されているころかと思うが、そうして遺伝情報は半永久的なデジタルデータとして純粋な記号の列となる。お客様控えのコピーはいただけないものかと、理研の加藤忠史先生に伺ったところ、エクソン全部を読んだところで、それだけが遺伝情報ではないですからね、と、はぐらかされてしまった。

その他にも日米四箇所の民間データベースにも登録しているので、なにやら世界各地に六人も子供がいるような不思議な感覚にもとらわれる。データベースを一個にマージしたら、五人ぶんは「一人っ子政策」に反する無用な重複になりはしないだろうか。精神・神経センターバイオバンクの服部功太郎先生に伺ったところ、現時点で二人以上、ましてや五人ぶんも六人ぶんも重複して遺伝子を提供するほどの物好きは、ほとんどいない。誤差の範囲だと笑われてしまった。

いつの間にか、生物学的な子孫を残さずにデジタル化された遺伝情報だけを遺して死んでいく最初の世代になっているのかもしれない。最後の人間の最初の世代、と言い換えることもできるだろうか。



記述の自己評価 ★★★☆☆
(「人類学B」の講義資料の余談。半分はサイエンス・フィクション。)
2019/10/05 JST 作成
2019/10/07 JST 最終更新
蛭川立