蛭川研究室 断片的覚書

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僧院としての病院


国立精神・神経医療研究センター病院

まったく初夏の陽気である。芝生のベンチで太陽光を浴びてサーカディアンリズムを調整する。

ひっつめ髪の看護学生たちがやってきた。白衣の天使たちの、病院実習である。

いまは大学教授としてではなく、ひとりの患者として、実習生に接しなければならない。

患者「こんなところで休んでいて授業も休講にしてしまって申し訳ない」
実習生「休講になると私たち学生も休めますから先生も休んでください」

本音なのか、慰められているのか。

保護天使が目に見えぬところでおこなってくれるのと同じような立派な務めを彼らに行わせるのだ。つまり、彼らを教化し、慰め、救霊をほどこす」。さまざまの慈善院では、生活と意識に秩序をあたえることに最大の配慮がはらわれたが、その点が、十七世紀をつうじてますます明確に、監禁の存在理由となるだろう。
 
フーコー『狂気の歴史』[*1]

理性の外部に迷い出てしまった人々を、天使の代役として「監禁」する人材を育成すること。フーコーに言わせれば看護教育とはそういうものだということになりそうだが、なるほど病院=僧院は、生活に秩序を与える場所なのである。ゴッフマンは病院と僧院と、そして学校と軍隊と牢獄とを全制的施設 total institution [*2]の五類型としてまとめた。『彼岸の時間』では「ルサンチマンと権力-タイの仏教とシャーマニズム-」で「ミクロな権力作用」について議論した。

けれどもフーコーの「監禁」という概念は、宗教現象の世俗的な側面を論じているにすぎない。戦後、巣鴨拘置所から松沢病院に入院させられた大川周明は、天使ジブリール=ガブリエルならぬムハンマド自身のビジョンに導かれ、クルアーンの邦訳を大成する。

松沢病院の医師君の中には私が朝から晩まで机に向かって、せつせと筆を運んで居るのを見、また午前一回、午後一回、寒暑を厭はぬ判で捺したような私の散歩を見、読書・執筆・散歩の他に何の屈託もなさそうな私を見て、恐らくは之は病気がさせる機械的行動だと考えた人もあつたであらう。
 
大川周明『安楽の門』[*3]

大川の秩序だった簡素な生活は、神経系の病気[*4]のゆえにでもなく、社会的な権力作用によるものでもなく、ある種の自発的な宗教的観念に基礎づけられたものだったといえよう。「人間は獄中でも安楽に暮らせる」「人間は精神病院でも安楽に暮らせる」というのが「富貴栄達や子孫繁昌とは凡そ縁遠い人間」であった大川の「全制的施設」についての見解である。

 



記述の自己評価 ★★☆☆☆
2018/05/15 JST 作成
2019/03/03 JST 最終更新
蛭川立

*1:フーコー, M. 田村 俶 (訳)(1975).『狂気の歴史——古典主義時代における——』 新潮社, 94. 括弧内はフランスで1657年に公布された勅令からの引用。

*2:ゴッフマン, E. 石黒 毅(訳)(1984).『アサイラム——施設被収容者の日常世界——(ゴッフマンの社会学3)』 誠信書房

*3:大川周明 (1961).『大川周明全集 第一巻』 大川周明全集刊行会, 727.

大川周明ネット」に電子版『安楽の門』がある。 なお大川の思想と行動の政治的な側面についてはここでは議論しない。

*4:内村裕之は大川の症状を進行麻痺と鑑定したが、入院後快癒したともしている。(金川英雄「大川周明と進行麻痺」)