蛭川研究室 断片的覚書

私的なメモです。学術的なコンテンツは資料集に移動させます。

ケタミンとDMT


タンポポ
国立精神・神経医療研究センター病院

イギリスで、うつ病に対するケタミン治療が始まったという。
https://www.oxfordhealth.nhs.uk/service_description/ketamine-clinic-for-depression/www.oxfordhealth.nhs.uk

旅行ビザで滞在していてもNHS(国民保健サービス)の医療は受けられたはず。ならばイギリスまで行って試してみたらどうかとは、心理士さんの冗談。

しかし、そもそも、パスポートがない。いつの間にかパスポートが失効しているのに気づいたのが去年である。学生時代、石垣島から基隆まで渡って以来三十年、パスポートを切らしたことがなかった。パスポートの再発行は、自由へのリハビリ。


DMTには神経保護作用があり、低酸素状態の培養細胞を守ることをin vitroで確かめたという研究があるらしい[*1]臨死体験のエンドルフィン仮説は以前からあったが、オピオイドでは精神展開体験は起こらないから、DMTという仮説には説得力がある。

同じトリプトファンから生合成されるインドールアルカロイドであっても、動物にとってのセロトニンは、神経伝達物質としてはたらき、植物にとってのインドール酢酸は、成長ホルモンとしてはたらく。DMTがチャクルーナのような植物に含まれているのであれば、それは植物自体にとってはどういう機能を持っているのだろうか。



追記。臨死体験の神経化学についてはケタミンとDMTの両側面からの研究が進んでいるようである。

DMTについては「DMT Models the Near-Death Experience」に、2018年までの研究のレビューがある。いっぽう、2019年に発表された論文「Neurochemical models of near-death experiences: A large-scale study based on the semantic similarity of written reports.」では、臨死体験の体験談と各種の向精神薬の作用とを比較した場合、ケタミンによる体験がもっとも似ているという結論になっている。

もっとも、このような研究が進んだとしても、分子還元主義によって心物問題という形而上的な問題が解消されるわけではない。そのことは『心物問題の形而下学に向けて』で素描したが、いまは(十年前にやりかけて放置していた)カントとスウェーデンボリの論争についても並行して勉強しているところである。

臨死体験研究はパラダイムの停滞期に入っている。死後の世界が実在する証拠なのか、瀕死の脳が見せる幻覚なのか、といった、ナイーブにすぎる問題設定が早々に行きづまってしまった一方で、その種の問題を整理するのを得意とするはずの哲学者共同体の中では、手段としての文献学が、本来の研究目的を覆い隠してしまうという本末転倒が固定してしまっているきらいがある。

カントは『視霊者の夢』の中で、霊界を見てきた、というスウェーデンボリの報告を皮肉たっぷりに馬鹿にしているのではあるが、しかしカントは礼儀正しい形而上学の徒でもあるから、霊界報告の類がなぜ馬鹿馬鹿しいのかを理性的に論じようと試みる。その思索が続く大著である『純粋理性批判』の背景にあって隠し味になっている。スウェーデンボリ氏じしんはリアルな体験をしているのかもしれない。しかしその体験を時間と空間という枠組みの中で語ろうとすると、死後の世界、といった奇妙な表現をするしかない。けれども理性というものは時間と空間という枠組みを通してしか世界をとらえることができない。だから他界は理性によってはとらえることができない。そういう論理なのである。



2018/04/12 JST 作成
2024/03/21 JST 最終更新
蛭川立