蛭川研究室 断片的覚書

私的なメモです。学術的なコンテンツは資料集に移動させます。

蛭川研究室ブログ新館 断片的覚書


アカデメイアの跡地(ギリシアアテネ[*1]

蛭川研究室ブログ新館の、覚書の置場です。日々の雑感や、ちょっと考えたことを、書き留めています。

日付がつくので、日記のようでもありますが、とくに経時的に出来事を報告する日記ではありません。

学術的に意味のありそうなコンテンツについては、随時、加筆修正し、または別のページと統合して、「蛭川研究室新館」のほうに移動させています。移転した場合は、移転先へのリンクを張っています。

同じような内容が重複したり、ちょっとした間違いもあるかもしれませんが、ネット上の情報には遺伝情報と同じような冗長性があるのが面白いところだと考えています。



CE2019/04/21 JST 作成
CE2024/03/05 JST 最終更新
蛭川立

*1:

【口述】「2024年度の人類学A」の授業を始めるにあたって

去年の秋にはSADに罹患しました。気温の急低下によって脳が急いで冬眠準備を始めたのでしょうか。自室に引きこもって過眠と過食、書類や原稿の締切を破る、伸ばすという「罪」を冒したぶん「負目性」は増える一方であり。だから仕事をしたくないといって、当座は一人暮らしの部屋の一角に敷いた布団の上で布団をかぶってじっとしているぐらいしかなかったのです。

今年の2月ぐらいになって復活してきました。そして4月からは学部生の講義です。一般教養の和泉は人類学のAで、どちらかというとBよりも狭い分野を扱います。これは、今の二年生が秋にになって蛭川の分析ゼミを選ぶかどうかの参考にしてほしいからです。

人類学とは何か?という宣言から演繹的に始めるのが学問としての体系としては美しい。しかし、それが現代の情報社会に生きる人間にとっては何の役に立つのか、という点で、あえて授業の初回では、京都で起こった、引きこもりの大学生が自分のうつ病自殺念慮アヤワスカのお茶を飲んで自己治療してしまったという事件を取り上げたいと思うのです。

アメリカ大陸の先住民族の文化、薬草や世界観という研究と、現代の日本で若者が心を病み、医者に相談に行くよりもネットで薬を買ってなんとかしようという、そういう21世紀的な文化の交錯するところを象徴する事件でした。

事件は五年前でしたが、私じしんが去年にうつ病に罹患したことで、人類学者としてではなく当事者としての医療サイケデリックスの研究に参入していくべき運命を感じています。

(作文中です)

治療という名の復興ー医療サイケデリック・ルネサンス

サイケデリックスの研究は、2015年ぐらいから、精神疾患の改善という実用的なところから復活してきたらしいが、気づくのが遅くなった。


LSD研究論文の年次推移[*1]

研究の盛衰をグラフで見ると、まるで感染症のような増減がある。

サイケデリックスが国際的に規制されたのが1970年ごろであり、これを機に研究は衰退した。しかし、なぜか研究は復活し、2000年ごろに小さなピークがあり、そして一貫して増加している。

私がサイケデリックスに関心を持つようになったのは、この2000年ごろである。アマゾンのアヤワスカに対する注目が高まっていた時代である。

フルドーズで神秘体験を得て、宇宙と一体化してこそのサイケデリック体験なのだから、ロードーズでは中途半端で気持ちが悪いだけだし、ましてやマイクロドーズなどという流行は、ホメオパシーと同じぐらい怪しげなプラセボだと偏見を持っていたところがある。

日本では2002年にシビレタケなど、シロシビンを含有するキノコが規制されたが、サボテンなど、サイケデリックスを含む植物自体は、ずっと合法的なままであった。私も海外でも日本でも、少量を試したことがあり、それは興味深い体験ではあったが、それ以上に探求しようとは思わなかった。

それから二十年ぐらいが経ち、日本では合法的なサイケデリックスがネット上で販売されるようになってきた。驚くべき時代の変化である。大学生か、卒業生が流通している物質のサンプルを私の研究室に持ってくるようになった。「先生、これは何でしょう?」

私はそういうサンプルに簡易試薬を垂らしてそのおおよその成分を調べてみる。その成分が法律で規制されていないことを確認する。

精神作用は自分で摂取しなければわからない。それでサンプルほんのすこしだけ「毒味」してみる。身体が重くて何をするのにもおっくうな感じが三時間ぐらいでスッと消えて、シャキッとする。歳をとったせいだろうか、知らないうちに心身に疲れが溜まっていたのか。

精神作用がある物質を服用しても、身体の疲れが治るわけではない。カフェインなどの精神刺激薬は、一時的に疲れを麻痺させるだけである。いっぽう、サイケデリックスには「自分が疲れている」ということに気づかせてくれる作用がある。サイケデリックスの精神作用の再発見であった。

LSDだけではなく、他の物質のトレンドについても調べてみた。

https://preview.redd.it/scientific-interest-in-psychedelics-is-skyrocketing-via-v0-fn3z5pxf9x6c1.png?width=1080&crop=smart&auto=webp&s=72e4a22ae16f0c17e586628848c70e0536810dfe
メスカリン、シロシビン、LSD、MDMAの研究文献の推移[*2]
 
https://www.researchgate.net/profile/Sergio-Iniguez-2/publication/343339936/figure/fig1/AS:932879769038848@1599427277422/Number-of-publications-on-ketamine-indexed-in-PubMed-each-year-from-1965-to-2019-based.ppm
ケタミンにかんする研究文献の推移[*3]

やはりLSDが研究の王道のようだが、実用化に向かっているシロシビンが急増している一方、同じように実用化に向かっているMDMAは2010年ごろから減少に転じている。LSD以前の代表的精神展開薬だったメスカリンについての研究はずっと下火である。

ケタミンについては、麻酔薬としての研究の割合はよくわからないが、こちらは2000年ごろから急増している。

治験についてはどうか。

https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0022395620300376-gr2.jpg
ケタミンの治験の推移[*4]
 
https://blossomanalysis.com/wp-content/uploads/2021/10/Depression-Psilocybin-Key-Studies-1100x619.jpg
シロシビンの治験の推移[*5]

ケタミンの治験は2015年をピークに減少に転じており、もうすぐ終わってしまいそうである。いっぽう、シロシビンの治験は2016年に急に始まり、急増しているようにみえる。

ケタミンには効果があるが、それよりもシロシビンの効果のほうが劇的で、しかも持続する。むしろ、ケタミンは保険適用外での自由診療が一般化してきているといえる。

サイケデリックルネサンスの背景には、従来の抗うつ薬の[マーケティングの]行きづまりという背景もある。

https://bjgpopen.org/content/bjgpoa/5/4/BJGPO.2021.0020/F1.large.jpg?width=800&height=600&carousel=1
イギリスで処方された抗うつ薬の年次推移[*6]

うつ病がとくに増えているわけではないが、抗うつ薬自体の処方は増え続けている。

それぞれの薬剤のシェアを割合で見ると、新しく登場したSSRIは2000年ごろには三環系抗うつ薬のシェアを追い越したが、2010年ごろにはシェアは頭打ちになった。新規に開発されたSNRIも伸び悩んだ。ケタミンからシロシビンへという流れには、こうした背景も存在する。

セレンディピティとルネサンス

この記事には医療・医学に関する記述が数多く含まれていますが、個人の感想も含まれており、その正確性は保証されていません[*1]

近年の脳神経科学の急速な進歩にもかかわらず、精神疾患の治療薬の開発は1950年代から1970年代にかけて盛んに行われた一方、その後はマイナーチェンジしか進んでいない。

hirukawa-archive.hatenablog.jp

精神科治療薬だけではなく、薬の効能の発見はセレンディピティの連続である。

狭心症の治療薬として開発されたシルデナフィルを飲んだ男性被験者の勃起が止まらなくなり、それがバイアグラというヒット商品になったとか(しかし、シルデナフィル動脈硬化に対して有効である)、バイアグラが時差ボケを補正する作用が発見され、イグ・ノーベル賞をとったとか、どこまで冗談なのかよくわからない逸話は多々ある。

その点、SSRIは理論から演繹的に設計された薬剤である。うつ病セロトニンの不足だという過程から出発し、セロトニンの再取り込みを阻害に作用を絞り込んだ薬を作れば、副作用の少ない抗うつ薬ができるはずだという推論から合成された。

プロザック」の発売が1988年、日本でSSRIが認可されたのが1999年である。SSRIが「魔法の弾丸」として一世を風靡したのはアメリカで1990年代、日本では2000年代であった。

hirukawa-notes.hatenablog.jp

SSRIの選択性はエスシタロプラムで完成した。

SSRIは確かに効く。ただし

  • 三分の二の患者にしか効かない
  • 飲み始めてから何週間も経たないと効かない
  • それだけの日数での寛解は、七割が自然治癒とプラセボ効果である

といった問題点が残された。

いっぽう日本の社会はうつ病ブームから発達障害ブームへと移行した。大きな物語と重い責任に押しつぶされるメランコリー親和型うつ病は減り、ポスト・モダンにおける責任感の低い「新型うつ病」が増加した。

漠然とした「生きづらさ」や「困り感」を主訴とする発達障害の流行へと変化していく中で、過眠症の治療薬だったメチルフェニデート抑うつ症状の薬としては引退し、大人のADHDの薬として復活した。


麻酔薬として使用されてきたケタミンに[SSRIでも治療できない治療抵抗性うつ病に対する]迅速な抗うつ作用があることが発見され、サイケデリック療法につながっているのだが、これも発見というよりは、セレンディピティ[*2] なのだろうか。

LSDにしても、もともとは陣痛促進剤として開発された薬を誤って吸い込んでしまったホフマン先生が予期せぬ神秘体験をしてしまったという、これもセレンディピティ以外の何物でもない。

サイケデリック文化の独立したパラダイム

この部分は切り出して別の記事「サイケデリック文化の独立したパラダイム」として独立させました。


CE2024/03/11 JST 作成
CE2024/03/18 JST 最終更新
蛭川立

*1:免責事項にかんしては「Wikipedia:医療に関する免責事項」に準じています。

*2:「ポストモノアミン時代の精神薬理学